2020-02-23から1日間の記事一覧

復讐するは我にあり

死刑制度の賛否をめぐっては様々な意見があるようです。現在世界で死刑制度を採用している国は意外と少なく50数カ国です。長年にわたって死刑執行していない国を含めるとヨーロッパの大多数が死刑制度廃止の方向です。アメリカの一部の州でも死刑制度廃止に…

健康は目的か手段か

最近の若い人たちの動向を見ているとやたらと健康志向が強いことに気づかされます。若者と言えばかつてはファッションばかり追いかけて健康には疎いのかなという時代もあったと思います。でも今は違いますね。ファッションを追求しつつ健康にも気を使う、ま…

法社会学の出番無し

憲法改正なんてトンデモナイと考える人が結構多いみたいですね。簡単には変えられないことから日本国憲法を「硬性憲法」と言ったりします。しかし、ホントに硬性憲法なのでしょうか。第96条をご覧になってください。 第96条:この憲法の改正は、各議院の総議…

持続可能な寿司

その昔、開発が活発になったことで環境論者から激しい批判が起こりました。「環境を守るために開発をやめろ!」というやつです。でも「環境を守れ」と言うのは、開発を積極的に進めてきて環境がヤバいことになっていることに気づいた先進国側の人々なんです…

儀礼ではない無関心

街を歩いているとよく「見て見ぬ振り」に出会します。レストランや電車内といった公共的な場所でのいざこざ、よく見かけると思います。中には善玉と悪玉が明確になっているケースもあります。そんなとき、わたしたちはどうすべきなのでしょうか。 確かに何す…

儀礼的無関心

ゴフマンの「儀礼的無関心」についてはその訳語に問題あると考える研究者が多いです。「儀礼的無関心」ではなく「市民的無関心」とか「世間的無関心」という訳を提唱している方々もいるようですが、ちょっと皆さん勘違いなさっているのではないかというのが…

セレンディピティ

キオ・スタークという人類学者(かな?)の『知らない人に出会う』という本があります。ちょっと一部を抜粋しますね。 公共の場で見知らぬ人同士が一定の距離まで近づくと、2人は互いをちらりと見て、さらに近くまで来ると目をそらして相手をやり過ごす。この…

過大評価=過小評価

日本は「恥」の文化だと言われます。それゆえに「罪」の文化である西洋およびキリスト教を理解するのに苦しみます。そして「罪」それ自体に対する解釈もキリスト教とは異なるようです。日本人にとって恥とは他者であるところの「人間」に対して想定されるも…

自己決定権は権利か義務か

先日、最寄り駅の階段から転げ落ちた婆さんを救助したときのことですが、婆さんは頭から血をタラタラと流しながらも「大丈夫です大丈夫です」と訴えていました。周囲に人が大勢集まったからでしょうか、人様に迷惑を掛けてはいけないと感じたのでしょう。立…

表現の自由はどこまで許されるのでしょうか

千住博という芸術専門家が「芸術とは何かを考えることは、私たちの社会とは何かを考えること」と言ってます。いろんな芸術がある分、いろんな社会があるのかなと。人は頭の中でいろんなことを考えています。それを言葉にするか、絵で表現するか、彫刻で表現…

研究者の神話

アフリカの貧しい国の人々のためにわれわれに何ができるのでしょうか。アフリカに限らずアジアにも、そして日本にも貧しい人々が存在します。そこには必ず彼ら貧しい人々を搾取する人々がいます。彼らは儲けます。彼らは貧困の存在を享受するのです。そのよ…