あなたはマックス・ウェーバーですか?

学会や研究会などで他の研究者と交流する機会があって、まず最初に互いに何を研究しているのかが気になります。そこで「何やってるんですか?」と尋ねると「ジェンダーやってます」とか「都市社会学やってます」とか「障害者問題やってます」という回答があります。あるとき某H大学院の人に同じ質問をしたら「メルッチやってます」と回答されてました。メルッチというのはイタリアの社会学者です。「何やってるんですか?」と質問されたときに、この手の回答をする研究者が結構います。社会学者の名前を挙げるのです。「ミードをやってます」とか「ルーマンやってます」とか「シュッツやってます」とか、珍しいところでは「タルドをやってます」という先輩もいました。このような回答にボクはいつも違和感を感じていました。「メルッチやってます」とはどういうことなのでしょうか。

職業を聞かれて「弁護士やってます」とか「歯医者やってます」とか「魚屋やってます」という回答はよくあります。他にも例えば役者が「ロミオをやってます」とか「クレオパトラやってます」というパターンもあります。「弁護士やってます」という人は弁護士で、「歯医者やってます」という人は歯医者です。「ロミオをやってます」という人も演技の場面においてはロミオであることに間違いはない。でも「メルッチやってます」という人はどう考えてもメルッチ本人ではない。

そもそも社会学とは、社会の諸々の現象やメカニズムを分析して解明する学問です。常に新しい知見を更新して知識を積み重ねた先にあるのは、やはり社会の諸々の現象やメカニズムを分析して解明することではないでしょうか。

確かに分析や解明のための膨大なインプットは必要でしょう。それ相当のインプットが無ければ有意義なアウトプットは期待できないでしょうから。だから研究者の初期段階あるいは学生のうちは相当の文献を紐解くことになるわけであり、その際にミードやタルドやメルッチの文献を読み込むことはあるのでしょう。

しかし、中堅の研究者やベテランの域に属する学者が、いまそこにある現実的な諸問題に対してまるで無関心を装うかのごとく口を閉ざして、過去の時代を生きた社会学者という人物を研究対象とすることをもって自らを社会学者であると称することには、かなりの違和感を覚えます。

かつて社会の諸々の現象やメカニズムを分析・解明してきた社会学者たち。彼らは社会と真摯に向き合ってきた「社会学者」です。一方、そういった社会学者の過去の業績をネタに自らの業績を積み上げることによって、まるで人の褌で相撲を取るような研究者もしくは学者は社会そのものではなく社会学を研究対象とするがゆえに「社会学学者」と呼んで「社会学者」と区別するのが分かりやすくて良いのかもしれません。

大学院修士時代に、G・H・ミードをひたすら研究していた助手がいました。あるとき、その助手がゼミでA・ストラウスについて研究発表し始めました。理由を尋ねると「そろそろミードでネタが尽きてきたから」ということでした。おそらくミード研究にもっと奥行きを持たせるためにミードに近い社会学者を「勉強」し始めたのでしょう。社会研究ではなく人物研究を選択するということは、社会を分析するのではなく社会学を勉強する、あるいは社会学ではなく社会学学をとことん究め、最終的には社会学者ではなく社会学学者に至ることを意味することになるのでしょう。

歴史上の社会学者を研究対象とする点において、社会学学者はまるで文学者のようです。文学者がヘミングウェイドストエフスキー太宰治を研究対象とするように、社会学学者はウェーバーやゴフマンやシュッツを研究対象とするのです。最近では社会学部をもつ大学が多くなってきましたが、かつては社会学部はあまり見かけることはなく、たいていは文学部の中に社会学科というかたちで存在してました。文学部社会学科。なるほど、社会学研究が過去の人物をその研究対象とする手法が昔からある文学研究の手法を模倣したものであると解するならば、社会学研究が文学研究の一部として位置づけられていた時代は社会学の存在意義はシニカルに大学に埋め込まれていたのだなと感心してしまいます。

しかしながら、仮に文学を芸術の一部と位置づけるとするならば、文字によって表出される芸術としての文学の研究手法は、審美を問題提起しながら追究するという意味において大変に理に適ったものであるのに対し、社会科学的手法を標榜する社会学という研究分野が問題提起しながら追究するものが審美ではない以上、社会学学者はその研究意義を広く世間に分かるように透明性をもって告知していくべきではないのでしょうか。

「マックス・ウェーバーをやってます」と言われても、あなたはウェーバーではないのであるから、あなたの解説に耳を傾けるよりもウェーバー本人から話を聞けば良いだけのことでしょう。それとも、あなたはマックス・ウェーバーなのでしょうか.....。