研究者の神話

アフリカの貧しい国の人々のためにわれわれに何ができるのでしょうか。アフリカに限らずアジアにも、そして日本にも貧しい人々が存在します。そこには必ず彼ら貧しい人々を搾取する人々がいます。彼らは儲けます。彼らは貧困の存在を享受するのです。そのような実態を詳細に伝えようとするジャーナリストたちのおかげで、われわれは貧困と搾取の存在を知ることができるのです。そしてジャーナリストたちはそれを伝えることによって生活の糧すなわちお金を手にするのです。貧困と搾取の存在を伝えることは必ずしもジャーナリストたちの正義感を証明することにはなりません。お金のために貧困と搾取の存在を突き止めている人たちもいるでしょうから。言い換えれば、その営為は貧困に喘ぐ当事者のためである以上に自分たちのためである。世の中から貧困と搾取がなくなれば、そして問題がなくなれば、ジャーナリストたちは困ってしまいます。患者がいるから医療が成立するのと同じことです。その意味では、貧困に喘ぐ人々を搾取する人々を報道する人々も、結局は、貧困に喘ぐ人を搾取しているとは言えないでしょうか。

研究者の世界はどうでしょうか。発展途上国の問題を扱う経済学や社会学の分野が30年近く前から注目されはじめました。貧困と搾取の問題をテーマに発表したり論文にしたり。それが彼ら研究者らの実績になります。彼らが貧困と搾取の問題を研究したところで、貧困に喘ぐ当事者らにどんな役に立つというのでしょうか。本当に彼ら当事者を心配するのであれば、論文書いてる暇があったら自分のカラダ使って援助に旅出た方がよほど彼ら当事者らにとっては喜ばしいのではないでしょうか。その意味では、研究者もまた、貧困に喘ぐ人々を搾取しているとは言えないでしょうか。貧困に喘ぐ人々は、研究者にとっては、研究のネタです。ネタが切れたら店終いです。だから貧困がなくなってもらっては困るのです。

ある人にとっての地獄は他の人にとってのパラダイス。パイの取り合いなんです。コインの表と裏なんです。いろいろな分野の神話が崩壊してますが、いまだ大学の神話は生き続けてます。