旅人マックス・ウェーバーと音楽社会学へのプロセス

本稿は、西欧独自の合理化論が展開されるマックス・ウェーバーの「音楽社会学」におけるこれまでの議論を踏まえた上で、「合理化」と対置される「非合理化」のありようを「リズム」の見地から考察することを試みる。その際、リズムをタクトから峻別するL.クラーゲスの議論を援用することによって「音楽社会学」に別様な解釈を施し、合理化論に新たな光をあててみたい。そこでは、南欧に始まるウェーバー自身による旅のプロセスが「合理/非合理」という軸が孕む緊張関係といかに重なり合うかが検討され、「リズム」という概念が音楽の外側から焙り出される。

1 はじめに*1

マックス・ウェーバーが西洋の音楽に合理性を見出したことはよく知られている。とりわけ音楽という主観的領域においてさえ理性が介入し、合理性が「鑑賞される」というきわめて「合理的」な試みに、ウェーバーの徹底した合理化分析の一端を垣間見ることが可能である。

音楽社会学』の主張である「合理化」は、宗教とのつながりが焦点となる。つまり、純粋な美の追求とは程遠く、祭祀的目的に支配された未開音楽が、身分的な「技」へと発展すると、美的要求へと目覚め、音楽本来の合理化が始まる(M:94)*2。しかし「合理化」は決して一義的で進化論的リニアーな過程を指すものではない。諸領域の価値のもとに合理化が進行する場合、別の観点から見れば「非合理的」であることが可能だからである。したがってウェーバーの「合理化」を問題とする場合、「どのような分野でどの方向にむかって合理化がおこなわれたか」(AR:23)を検討することが要請される。本稿では、ウェーバーの引用および参照に限り文献略号を用い、頁は翻訳頁とする。略号の詳細は参考文献表を参照。

それでは音楽の領域における西洋の合理化は「どのような方向」に発展したのであろうか。西洋の合理的な音程計算や多声音楽は他の地域でも知られており、音楽を聴き分ける耳に関して言えば西欧人よりも他の諸民族の方がより発達していたが、「合理的な和声音楽――対位法ならびに和音和声法――、すなわち和声の三度による三つの三和声を基礎とした音素材の構成、また、ルネサンス以来間隔的にでなく合理的なかたちで和声的に解釈されてきた半音階法と異名同音法」(AR:7)は西洋にしか存在しなかった。

西洋以外の人々も美的な要求に目覚め、別様な合理性のもとで音楽の歴史を刻んでいったとして、ここではそれ以上の検討は施さない。むしろここで問題にすべきなのは、西洋で和声音楽が発展してゆくプロセスと、ウェーバーが合理性をその中に見出してゆくプロセスの二つである。

そもそも理性的な知を基盤とした合理的音楽解釈の試みは、ウェーバーもたびたび言及している音楽家ジャン=フィリップ・ラモーの『和声論』において既に展開されていた。粗雑なラモーの和声論(M:203)を洗練させたのがウェーバーであると言える。ところが『音楽社会学』での議論はその後それほど注目されてこなかった。その理由として、この本の大半が音響物理学的な議論と数式で埋め尽くされており、冒頭にも述べたように、それ自体「きわめて合理的な試み」であったことが考えられる。A.ツィンゲルレの言葉を借りれば、「逆説的には、まさに音楽――ウェーバーがそのなかで育ったドイツ市民層の教養環境においてしばしば非合理的体験の礼拝所であった一つの文化領域――についてのこの研究が、きわめて合理的になって」(Zingerle, 1981, 井上訳1985、168頁)しまったために、音楽学の予備知識のない読者を惹きつけることができなかったからであろう。

とはいえ、音楽という文化領域に「非合理性」が浸透すると一般に考えられているからこそ、合理化の過程がどの程度証明できるかという問題設定にウェーバーが惹きつけられた(Käsler, 1979, 森岡訳1981、196頁)という点も重要である*3。さらには、ウェーバー自身は『音楽社会学』の出版に関わっておらず、彼の死後、マリアンネ夫人と、緒論を展開したT.クロイヤーによって編纂されたという事実も見過ごすことはできまい*4。いずれにせよ、ウェーバーが「いつかはすべての芸術を包括する社会学」を完成させることを試みており(Weber, 1950, 大久保訳1963、378頁)、その論点が「合理化」をめぐるものであったことに異論はなさそうだ。

しかしこのことによって、ウェーバーの「音楽社会学」を合理的崇拝の産物として位置づけたり、あるいは控え目に、西洋の合理性を明示したものであると判断することは、合理性の背後に見え隠れする「感性」が担う役割を見過ごしてしまうことにつながるのではなかろうか。そこで次のような問いかけをしてみたい。ウェーバーはラモーのように音楽の合理性によって合理性を伝えるのではなく、合理性によって何か他のことも、あるいは何か他のことによって合理性の説明を「試みていた」と考えられないだろうか。合理性には「非合理性」が対置されるが、「合理性」を追究することによって「非合理性」を明確にすることが本稿での目的ではない。それは、H.ガースおよびC.W.ミルズらが異論を唱えるように、「非合理性」は単に合理性のアンチテーゼなのではないからである*5。そこでここでは、非合理的なものに「リズム」を宛い、リズムという観点から「音楽社会学」を捉え返すことを試みたい。

2 合理性を支えるリズム

(1)音楽社会学とリズム

リズムは音楽を構成する三大要素のうちの一つとして知られているが、その適用範囲は広いものである。例えば、メロディーが空間的な広がりを想起させるのに対して、リズムは空間的な自在性を抑制させる時間的なものとしてイメージされることがある。学術用語としてもリズムを、アクセントのある拍とアクセントのない拍との関係でグループ化されるもの(Cooper & Meyer, 1960, 徳丸訳1960、15頁)と規定したり、そのようなアクセントによって生命を与えられるもの(Creston, 1964, 中川訳1968、35頁)と主張する場合もあるように、リズムをめぐる解釈は一様ではなく、その概念規定はきわめて曖昧である。

ウェーバー自身、『音楽社会学』において「リズム」という言葉を十数回にわたって用いてはいるものの、それに対して明確な定義を提示してはいない。この本の訳者である安藤英治もギリシア人にとっての音楽エートスに触れた際に、「南方の強烈なリズムによって、われわれは現在でもこの影響力を実感できることは誰でも知っている」(安藤、1969、342頁)とし、「リズム」を半ば自明なものとしている。だがわれわれは、「音構成に脈動のような性格を与えるリズムの作用によって説明できる」(M:85)というウェーバーの一節から、リズムがもつ脈動的性格を見出すことができる。そしてウェーバーは、「古代ギリシアの音楽において、また他の原始音楽や芸術音楽においてもそうだが、中間終止の特徴としてしばしば観察されるものは、むしろリズム的な諸現象である」(M:106)と述べることによって、リズムのプリミティヴなものとの連関を示唆している。さらに、ウェーバーが『音楽社会学』には書かれていない理論をP.ホーニヒスハイムの前で展開して述べた「キリスト教は肉体を忌み嫌ったために聖書宗教の中でも礼拝の踊りをもたない唯一のものとなり、それゆえリズムよりもむしろメロディにもとづく非肉体的な音楽が可能となった」(Honigsheim, 1968, 大林訳1972、142頁)ということからは、リズムの身体性を読み取ることができる。

以上のことを鑑みるに、意味規定は必ずしも明示的ではないが、ウェーバーにとっての「リズム」は「合理性」と対立するものであるということが無意識的に暗示されているのではないだろうか。リズムを音楽社会学の内在から把握することが困難である限り、それを特殊な外在的アプローチによって、リズムに対するこの暗黙の共通認識をつまびらかにすることが求められる。リズム内奥の焙り出しは、たとえそれが暫定的な性格のものであったとしても、一つの布石として重要な試みとなるであろう。

本来、リズムとはギリシア語のrheein(流れる)に由来している。それは、字義どおりに解釈するならば、「持続性」を捉える概念として位置づけられる。存在するもの全てが時間的推移からは逃れられないことを意味する「万物流転」という表現は、まさに‘rheein’を顕著に表しており、インディアンにおける旋律がその基盤とする「リズム的に反復される唯一の音」(M:88)とウェーバーが述べる際の「反復」も、この「持続性」と重なり合うものである。

しかし「流動性」だけでは、リズムの意味規定は十分ではない。そこで本稿では、L.クラーゲスの議論を援用することで、ウェーバーによる音楽社会学を独自なリズム的展開のなかに絡め、合理性をリズムとの関係に位置づけてみたい。ウェーバーとクラーゲスの間に直接的な学問上の接点はみられないが、『宗教社会学論集』の「序言」においてクラーゲスに触れている箇所がある。ウェーバーはそこで、直観がもたらす学問のディレッタンティズムを批判しているが、K.ヤスパースと並べてクラーゲスをその中から除外することを明示し、ウェーバーの試論と出発点を異にするために、それらと「対決をおこなうこと」をそこでは手控えている*6(AR:26-27)。したがって、クラーゲスのリズム論を導入することは全く唐突ではないということを、そしてクラーゲスの内容豊かなリズム論がウェーバー理解に少なからずとも有用性をもちうるということをここに記しておこう。

(2)リズムとタクト

クラーゲスは先に挙げた「持続性」によるリズム定義を疑問視し、平面的な持続性が必ずしもリズム的であるとは限らないことを主張し(Klages, 1923, 杉浦訳1971、28-29頁)、「持続性」による意味規定の限界を乗り越えるために、タクト(拍子)との比較考察をおこなっている。これによって、リズムと呼ばれるものの多くが実はタクトであったという指摘に行き着くのである。

クラーゲスによれば、リズムを考察する場合、タクトの仮現性に留意しなければならない。われわれは日常生活において、経験可能なものの境界を明確にするが、境界づけられたものはリズムではなく、単なる系列か、もしくはタクトに過ぎない。ここでその事例として挙げられるのが、時計の音が現象の分節化によってタクトになるというものである。同一音の連続を耳にするとき、個々の音は強弱(あるいは弱強)の音群として聞こえる。聞き手はこの音系列のなかに、客観的には存在することのない強弱(弱強)の周期的交替音を聞きとることとなる(同上書、15頁)。つまり、リズムをタクトに変えるのはわれわれ自身なのである*7

このような視点から、クラーゲスは「生命(Leben)」と「精神(Geist)」を対立的に捉え、リズムは生命的原理としての体験に、タクトは概念的かつ恣意的な精神に(表象として)対応する近代合理的なものとして定置している(同上書、35-38頁)。だからこそ、「リズムは、拍子が完全に欠けていても、きわめて完成された形であらわれうるが、拍子はそれに対してリズムの共働なくしてあらわれえない」(同上書、22頁)のである。タクトはより根源的なリズムに依存することによってのみ精神的なものになるのである。このような指摘は、メトロノームに従った規律的な演奏や韻律に従って朗読された詩句が、リズム的であるというよりもタクト的であるということを意味している*8

合理的で恣意的なタクトは分節化されるため、そこには始めと終わりが存在するが(Klages, 前掲同書、31頁)、躍動的なリズムは、境界づけられない波動のように、無限の運動プロセスの中にある。クラーゲスは思考対象に関係する判断を「把握的判断」とし、直観世界に関係する判断を「指示的判断」とした。「把握的判断の役割は数量概念においてきわめて支配的であり、指示的なそれは質概念において支配的である」(同上書、33頁)。質概念としての波には明確な分節は存在しないし、前後の波との関係も決して同一的ではない。自然界のあらゆる現象は全て類似したものを延長させ、その推移のうちに絶えず繰り返し新しいものを生み出すのみである。すなわち、タクトは現象を恣意的に反復し、リズムは過ぎ去ったものをただ更新するだけである(同上書、57頁)。「更新」と「反復」に関連して、西洋の合理的和声を促進する働きを担ったものとして、ウェーバーは記譜法を挙げているが、これに関しては次節以降に再び取り上げることとする。

以上がクラーゲスによるリズム論の概略であるが、翻って「音楽社会学」を見渡すとき、リズムを音楽に内在的なものとしてではなく、非合理性(単なる合理性のアンチテーゼではない非合理性)に代わるものとして考え、さらには、合理とリズムの接合点を西洋合理化の中に位置づけるならば、音楽社会学の別様な姿が浮かび上がってくるかもしれない。

3 合理と非合理の緊張関係

(1)合理化の限界

上述したように、少なくとも音楽的事象において、ウェーバーの合理化は「美的要求への目覚め」によって惹起されるものとして想定されていることを確認しておきたい。つまりこの「美的要求への目覚め」は、合理化が内包する限界をも指し示していることを意味する。合理が常に非合理の裏切りに遭遇することは、形式合理性が実質合理性によって犠牲にされ、実質合理性との間にズレを生み出しうるということからも十分に想起される。それは、合理と非合理の狭間を無限の往復運動に駆り立てられるものとして捉えられうる。

では具体的にこのような往復運動としての「合理化」は『音楽社会学』においてどのように語られているのであろうか。ウェーバーは「近代の和音和声的な音楽全体は、整律および整律の生み出した所産なしには考えることができない」(M:201)と述べている。2と3に基づく古代ギリシャの音律であるピュタゴラス音律は、和声的3度を無視することによって、「ピュタゴラスコンマ」という協和性の限界にぶつかってしまった(M:137)。音響物理学的観点からの合理化とその抵抗はここから始まるのである。
 「或る三和音に音階固有の第三の3度を付け加えると、不協和な七の和音が成立する」(M:5)という問題に対して、音響物理的観点は「純正律整数5」を発明せざるをえなかった。整数5を用いて5度を和声的に分割することによってしか、純粋な形で和声的3度を構成することができなかったからである(M:36)。このような発明あるいは改良を施す点に「合理化」の一面を垣間見ることができる。換言すれば、祭祀的目的に支配され、純粋な美的追求をおこなわなかった未開音楽において、魔術的意味をもつ音楽がその効果が確定された規準から逸脱するということは、「すべて魔術的効力は破壊され、超自然的諸力の怒りを招く」(M:94)ということを意味する。そのような音楽では「誤った」歌い方をする余地はないのである。

先述したとおり、音楽が実用性から芸術すなわち「技」へと発展した時、音楽の合理化は始まる。ピュタゴラス音律がもつ矛盾を解決すべく登場した純正律5度は、やがて、西洋特有の楽器である音律の固定した鍵盤楽器との矛盾につきあたった(M:199)。ここに「整律」の必要性が生まれてくる。

属七和音が作り出す不協和音や、純正律がもつ実際上の不具合を「非合理性」とするならば、それを解決すべく登場する「合理性」は、さらなる「非合理性」をも生み出してしまう。音楽の和音的合理化は旋律上の諸問題との絶え間ない緊張関係のうちに身を置くが、それらを完全に自分の中に同化することは不可能であり、合理はいつでもそれ自体の中に非合理的な要素を内蔵したものとなる(M:22)。たとえ旋律法の自由な動きに拍車が掛かり、「音」がわがままな一人歩きを演じたとしても、それと同時に、否それだからこそ、音程圏の崩壊から繰り返し発生しうる不調整を意のままに調整しようとする目論みが芽生えるのである(M:186)。西洋和音の合理化とは、不協和を徹底的に克服しようとする「終わり無き試み」なのであった。

近代音楽は音響物理学的な合理性に基盤を置きながらも、このような旋律法の非合理性に惹きつけられることで合理性に背いてゆこうとする「緊張関係」から成立したものであり、「合理/非合理」が不断に続く「合理化」であるといえよう。この点に関連して、クラーゲスは「タクトの生命内実」にも触れている。分節化されタクトと触れ合うことで、かえってリズムに生命が甦る。「動きを感じさせないほどのリズムが、拍子の抵抗にあって屈折することにより、顕著な働きをもつリズムにかわることもありうる」(Klages, 前掲同書、90頁)のである。そしてタクトはいつでもリズムの共働を要請する。ひとたび「合理」への道に足を踏み出せば、必ず「非合理」との対決を余儀なくされる。このようなテンションおよびダイナミクスの中にこそ「合理化」を見出すことが可能なのである。

(2)音の空間化と演奏家の誕生

音楽社会学』は、原題の『音楽の合理的ならびに社会学的基礎』からも明らかなように、音楽の「合理的側面」と「社会学的側面」の二つから成り立っている。一方の「合理的側面」は、これまで述べてきた音楽の「音響物理学的」な側面を指す。純粋な和声的3度を理論的に極めるまでのプロセスがまさにそれであった。他方、「音響物理学的」な側面を可能にする音楽外的なファクターを考察したのが音楽の「社会学的側面」である*9

ウェーバーは音楽の「合理的基礎」を促進するものとして、記譜法(音譜)の発明を挙げている。単に言葉のリズムを生かした創作であれば文字に依存する必要はないが、音楽作品の場合、それが特に複雑化した西洋近代の音楽作品の場合、楽譜があって初めて作品を生産したり伝承したり再生することができるからである(M:173)。そしてこのような事象は、経済の領域において近代の合理的な資本主義的経営組織が誕生する要因となった合理的な経営簿記、つまり数学的かつ実験的自然科学の発想に基礎づけられた「精密な計算」であるところの経営簿記が発明されたこととみごとに対応している(AR:16-20)。

しかし楽譜は、厳密に言えば、経営簿記とはその性質を異にするものである。純粋な美を追求するために合理的に生み出された音楽のアリーナが、聴覚から視覚の世界へと移行したこと、換言すれば、時間的に配列された音の世界が紙面上に空間化されたことによって、形式的合理性と実質的合理性の間に見られるズレが顕著となったからである。音の空間化は常に矛盾を孕むものとなる。理論上の和音合理化が様々な緊張関係にさらされることは先述したとおりであるが、さらには、西洋音楽にとっては害悪であるはずの不協和音によって「響きの豊かさ」(M:146)がもたらされうるという厄介な問題も生じたということは、ほんの一例に過ぎない。動きのない記号や図式であらわされた楽譜に見られる音楽は、リズムというよりもむしろタクトに則ったものであると言えよう。

ところが、記譜法の発明は新たなドラマを生み出すこととなった。ウェーバーは合理的な近代資本主義経営組織の発展要因として、簿記法以外にも「家政と経営の分離」を挙げているが(AR:16)、同様のことが音楽の領域においても発生したのである。「作曲家と演奏家の分離」である。定量記譜法の発明によって個人の作品が「読みうるもの」となり、生産可能なものとなったことで、作曲家と演奏家が別々に存在するようになった(M:181)。音楽業界における分業化である。多声音楽が「書く芸術」に昇華したことで、「本当の」作曲家が誕生し、創作品の永続性と永遠なる発展が保証されたのである(M:177)。

記譜法が発明される以前は、作品は正確には伝達されず、音楽の個性を的確に伝えることよりも、一般的に演奏可能かつ記憶可能な音楽を伝達することの方が常に優先された。ところが記譜法の発明は、個性的な作品を提供しうる本来の「作曲家」を生み出したのである(M:181)。さらに、視覚の世界へアリーナが移行した音楽に生命を吹き込む権限、および、新たなコンテクストにおいてその魅力を惹きつける権限が「演奏家」に授与されたのである。動き始めたタクトを再びリズムの世界へといざなったとも言えよう。

(3)リズムの介入

音楽の合理化は記譜法によって最初の一音から最後の一音にいたるまで徹底的に論理に縛られてしまった。かつての「人間的な、あまりに人間的な」音楽に代わって、「論理的な、あまりに論理的な」音楽(吉崎、1975、157頁)が表舞台へと姿を現したのである。

だが記譜法の発明によって生じた「作曲家と演奏家の分離」は、演奏空間におけるリズムの注入という意図せざる帰結をもたらした。指揮者を含む演奏家らの役割は、紙面に刻印された音がもつ世界を豊かに再現することにある。そのために彼らがなすことは、本来の音に刻まれたリズムを抽出する、あるいは、刻まれて覚醒されたタクトを解放してリズムに変容させるということではなかろうか。合理化の限界を乗り越えて、技術上/論理上の旋律的音楽発展を極めたとしても、演奏家らは自らの身体から表出されるリズムが「論理的な音」に躍動感を与えることになるということから逃れることはできない。詳言すると、音楽を演出するものは「音それ自体」のみならず、演奏家の技術、それに至るまでの生育環境、演奏当日のムード、演奏される場所、表現方法、予期せぬハプニングといった、その場の状況を作り上げる幾つもの要素なのである。

そして何よりも、クラーゲスが「現象の時間性のリズム的分節は(中略)同時にその空間性のリズム的分節である」(Klages, 前掲同書、67頁)と指摘するように、リズムが空間においても出現するということが留意されねばならない。音響像が空間において生じるものだからである(同上書、68頁)。クロイヤーは「緒論」において、音楽家たちは「自然が提供する音そのままを用いて和声を作ることはできない」(M:1)と述べているが、「自然が提供する音そのまま」を用いて音楽を構成することは十分可能なことである。

このようなクロイヤーの明言を検討する前に、ウェーバーは『音楽社会学』で「音楽」の定義を施してはいないということを付言しておきたい。先に述べたように、『音楽社会学』は完成されたものではなかった。現在入手可能な研究は、音響物理学的な合理化の基礎と、それをもたらした記譜法や(後述する)鍵盤楽器にまでしか議論は及んでいない。しかしウェーバーにとって音楽が「生活必需品」であり、たびたび演奏を聴きに行っていたことがホーニヒスハイムによって報告されている(Honigsheim, 前掲同書、134頁)。また、当時ウェーバーが鑑賞した演奏会には、入場料の中に軽飲食物の分も含まれており、休憩中には彼らと常連客が気楽に交わるという「幾分ボヘミアンの雰囲気」が醸し出されていた(同上書、141頁)という。つまり、ウェーバー自身は自らが研究の対象とした「音」の世界だけではなく、トータルな意味での「音楽」の世界に包まれていたことが分かる。

音楽は趣味としてだけではなく、学問的関心事としてもウェーバーを惹きつけていった。『音楽社会学』では触れられていないが、ウェーバーは、科学的に研究する価値のあるものとして、「個々の器楽奏者が特定の楽器を選んで、例えばオーボエとかバスーンとかを選んで、決して他のものを選ばないことの理由は奈辺にあるのか」といったことに関心を示したり、「その楽器のためにほとんど独奏曲が書かれることのないような楽器、例えばトロンボーンやチューバを演奏する個々の演奏家は彼の持ち場にどこまで満足しているのか、また彼はただそのような楽器にしか熟達しなかったことをどこまで後悔しているか」といったことに興味を抱いていたとのことである(前掲書同所)。さらには、演奏家らと話し合う機会を重宝し、「彼らの練習や試験や給料や養老保険など、何らかの形で彼の音楽社会学的関心に関係する事柄を尋ねた」(同上書、142頁)ということである。

ケスラーも指摘するように、ウェーバーが合理化の発展を積極的なものとして賛美していたのではなく、むしろ深い懐疑を示していた(Käsler, 前掲同書、199頁)とすれば、西洋の音楽が独自の合理化プロセスを歩んできたのにもかかわらず、自ら足を運んで演奏会を「楽しんでいた」(Honigsheim, 前掲同書、134頁)というのはいかなることであろうか。後述する鍵盤楽器の完成がもたらした固定された調律に徹底的に縛られることとなった音楽といえども、生命的な非合理性との絆を分かつ契りが交わされたために、さらなるリズム化への選択肢が広まったのである*10。音楽に対して内側からだけではなく、外側からリズムを付与することもありうるということに、ウェーバーは気づき始めていたのではなかろうか。非合理的なものは、合理的なものが「ますますそこへ立ち返っていかざるをえない故郷」(AR:60)となるのである。音楽領域における分業化は、「論理的な、あまりに論理的な」音を、「リズム的な、あまりにリズム的な」音楽へと導くのである。

4 南のリズムと北のタクト

(1)地理的舞台の転移

ウェーバーによる西洋の合理性を問題にする場合、「西洋」の地理的および歴史的配置を明確にすることは避けられない。これまで述べてきたリズムの本質は、ウェーバーが考えるところの「西洋」諸領域の特性とおおいに関係しているからである。上記を検討するにあたって、合理化する「西洋」がどのように整理されているかを確認しておこう。

ウェーバーは、アジアの状態と特に顕著に対立する西洋中世の都市を「アルプス以北の地方の都市」に限定している(TS:71)。これは、古代都市と中世都市の比較から導き出された結論である。奴隷制と戦争を前提とし、軍事団体をその基盤とする古代都市においては、現実を合理主義的に支配しようとする欲求や能力が欠如していた。それは、自然の威力に従属する農民らが呪術に親しんでいたことからも説明されている(AR:63)。

しかし時代が中世に移行すると、南欧都市が古代との類似性を維持したのに対して、「アルプス以北」の北欧都市では、宗教との親和性が保たれつつも、「技術的あるいは経済的な計測と自然および人間の統御」(AR:65)を基盤とした合理性が進展した。さらには、農民層が民主制の担い手であった南欧都市に対し、奴隷制を前提としない北欧都市では、手工業がその担い手となった(TS:306)。そしてそのとき、国家とのつながりに深く埋没した北欧都市では、地中海沿岸の都市貴族がつくった都市にはみられない「市民的」な性格がうまれたという(AA:471)。このように、中世における南欧は古代に結びつけられることによって、北欧と切り離されることになった。地中海沿岸の「古代南欧」から市民的「中世北欧」へと舞台が移されるのである。そしてこの地理的舞台転移のプロセスが、西洋音楽の合理性と平行することになる。ウェーバーは『音楽社会学』において西洋音楽との比較対照をおこなう際に、事例として地中海沿岸の古代ギリシア音楽も挙げている。

さらに、ウェーバーは中世の南欧都市を「市民意識」という観点から、アジアの都市から北欧都市に至る過渡的段階として位置づけている(TS:77)。このような「過渡性」を検討するにあたって、安藤による「エートス」の説明に触れておく必要がある。「エートス」とは、古代ギリシアの音楽論において基本問題となった、倫理的性格をあらわす言葉であるが、エートス論は元々は南方文化の所産であったという。ところが感覚的な影響力をもつ音楽がギリシアに移されると、それは単なる感覚的なものとしてではなく、倫理的、教育的な作用力として捉えられるようになった。そのような作用力を生ずる音楽特性のことをギリシア人は「エートス」と呼んだという(安藤、前掲同書、328頁)。本来は感覚的で官能的な性格をあらわしていたはずの「エートス」を倫理的に解釈し直して、音楽の合理化理論に組み込んでいったウェーバーの思考プロセスには、「北の“意志”の人と南の“感覚”のひと」(安藤、1977、34頁)という対立が浮かび上がっていたと考えられる。ウェーバーが「古代ギリシアの音楽」と「リズム的な諸現象」を関わらせる(M:106)とき、それらはエートス論的経緯と間接的につながるといえよう。ウェーバー南欧都市を北欧都市への「過渡的段階」に据えることによって、南が北の合理性と一触即発であることを示唆していた。つまり、音楽に内在的かつ外在的な意味において、ウェーバー南欧に「リズム」を見出していたのである。このことにさらなる深みをもたせるために、「室内空間性」の問題も取り上げておかなければならないだろう。

(2)室内空間

音を空間化した記譜法と並んで、音楽の社会学的基礎要因の一つとして挙げられるのが鍵盤楽器の発明である。それは最初、北欧および南欧修道院において「オルガン」という形で誕生し(M:175)、十四世紀以降、大聖堂で使用される機会が多くなっていった(M:221)。「歴史的には、音の合理化は一般に楽器から始まっている」(M:190)とウェーバーが述べるように、音を固定せざるをえない鍵盤楽器は音階の合理化に拍車をかけた。整律は和音和声的音楽発展にとっての「最後の切り札」(M:199)となった。

オルガンはやがてピアノに発展することで、様々な合理化要因を巻き込んでいくこととなる。ケスラーも指摘するように、ウェーバーがどの程度、文化的、経済的、社会的、技術的要因、そしてまた気候的要因をも考慮しているかは、ピアノの発展に議論が及んだ際にもっとも明確なものとなる(Käsler, 前掲同書、197頁)。ピアノの材質は気候的要因をかなり念頭において選ばれたものである。機械的大量生産が行われたとき、アメリカやイギリスで入手可能となる優秀な鉄はピアノの鉄枠にとって役立つものとなったが、裏返すと、ピアノが熱帯地方で使用されえない原因をもたらしたことになる(M:235-236)。

しかしながら、ピアノを介して南と北を分かつ最も顕著な特徴は、それぞれにおける「室内空間」との結びつき方であろう。北欧の生活が気候の関係で「家」に結びつけられており、市民的な「家庭」における娯楽の需要が膨らむことで、ピアノは市民的な「家具」としての地位を獲得していった(M:238)。さらには、ピアノの構造と北欧の市民的家庭需要が市場においてつながることによって、ピアノの大量生産および大衆化に拍車がかかった。「その最高の魅力を発揮するために、オルガンは巨大な室内空間を必要とするが、ピアノが必要とするのは適度の大きさの室内空間」(M:237)だったからである。

それに対して南欧は、今日であればスペイン人のカフェ生活に見られるような「アゴラ」で談笑する屋外生活と結びついていた(AA:489-490)。音楽文化に関していえば、例えばイタリアのア・カペッラ歌唱やオペラに代表されるように、理解しやすく歌いやすいメロディーを求める家庭需要に応えるように作られており、市民的な「家庭」文化がないことによって規定されたものであった(M:234)。

音響物理学的な音楽の内側からの合理化と社会学的な外側からの合理化――西洋音楽の合理化――は、「交響曲様式という一点において合流」(吉崎、前掲同書、155頁)することとなったのである。

(3)旅人ウェーバーの軌跡

マリアンネ夫人によると、諸作品を世に送り出す以前のウェーバーは過度の神経症に陥っていたという。その原因が何であったかはここでは特に触れないが、神経症という病はウェーバーに「意図せざる帰結」をもたらした。医者はウェーバーの頑健な体から、この病を単なる過労によるものと診断し、旅行を勧めることとなる(Weber, 前掲同書、187頁)。ウェーバーは療養のためにヨーロッパ数カ国へ頻繁に旅した。中でもイタリアへの旅はウェーバーにとって格別なものであった。永遠の都ローマでは、歴史に浸透された時間を堪能し、一時の生き甲斐を感じたのである(同上書、203頁)。

そのような旅の途上における見聞がウェーバーのその後の著作に多大な影響を残していることがマリアンネ夫人によって伝えられている。「彼は単に熱心に受容するだけではなく、見たもの経験したことをスケッチ風に記録しようという欲求をもとりもどした。そして、このようにして彼の内部に入って行ったもののほとんどすべては、彼の著作のなかにその痕跡を残している」[同上書、213頁]。

何よりも、旅を通じた比較考察によって、己の立ち位置を距離化できたことは想像に難くない。1906年シチリアへの旅では、北方と南方の行動様式を明瞭に自覚している。北欧では見られぬ光景を目の当たりにし、病は少しずつ癒されていった。ギリシア的精神を彷彿とさせる壮大な劇場の半円の中に佇んで『オデュッセイア』の詩句を朗読するウェーバーの周囲にはギリシア世界が漂い、「彼はホメーロスとともに赤葡萄酒色の海を見た」のである(同上書、276頁)。地中海で「古代」を見出したウェーバーと、先に触れた西洋都市類型を論じるウェーバーがそこにいるのは、決して偶然ではなかろう。ローマにおいては、「どの石も彼の歴史的想像力に語りかけ、彼を強く刺戟した」(同上書、197頁)ほどである。南と北の比較考察は、病を癒す旅と密接に連なっていたのである。

ウェーバー南欧にリズムを見出した、ということはすでに述べたとおりである。病からの療養のプロセスにおいて、それまで自分が身を捧げ培ってきた北方の流儀とは異なる南方の特有な文化に接することで研究意欲が駆り立てられたのであれば、合理的北欧のタクトが南欧の感情的なリズムによってより洗練されたというのも無理な解釈ではない。しかしここで強調したいのは、南に触れて「北を知る」ということよりも、むしろ南に触れて「北に南を見出した」ウェーバー像である。旅をし始めると此方と彼方のあいだにある境界線が溶解し、己が歩んできた道に染まった属性に新たな色が加わる。E.リードは、そのような境界線が「知覚のトンネル」に変容したからだと述べるが(Leed, 1991, 伊藤訳1993、108頁)、それはウェーバーにとっても例外ではなかった。南欧で「古代」と出会い、時代性を超えた永遠的なものに合体したウェーバーは、旅によって「自分の自我を拡大して歴史の容器(うつわ)とする」(Weber, 前掲同書、197頁)こととなる。

病の療養で旅をすることとなったウェーバーがイタリアにおいてその病を完治したという見方はウェーバー解釈の主流であるが*11、着眼すべき点は、病跡という旅の途上でウェーバーのなかに刻まれたリズムのありようではないだろうか。最初のうちは目新しい印象に惹きつけられた南への旅も、やがてその効果は少しずつ磨滅していくこととなる。再び訪れたローマは以前のローマとは異なっていた。「全然別の世界へ、たとえばコンスタンティノープルへでも行けたら!」(同上書、209頁)。

旅には独自の構造が備わる。定住性は移動性を求め、やがて移動性も定住性を欲することとなる。折原浩も旅人としてのウェーバーのなかに「内なる辺境」を見出し、マージナル性という視点から議論を展開している(折原、1969、299頁)。ウェーバーは、音楽領域における理論が及ぼす作用について触れ、「音楽の理性と音楽の生命との間の関係は、音楽史上もっとも重要な緊張関係のひとつであるが、この緊張関係は移り変わってゆくものなのである」(M:203)と述べている。このような緊張関係のなかにリズムとタクトを重ね合わせ、ウェーバーの旅の軌跡をも巻き込むと、北の別様な姿が浮かび上がってくるのではなかろうか。少なくともウェーバー自身は、そのことに気づき始めていた。南欧への長い旅の後ウェーバー夫妻がミュンヘンで見た『トリスタン』は、以前に見たものとは異なっていた。「そのときには聞く耳がなかったのだ(中略)その後彼らの芸術的感受能力は多面的に発達し、彼らが親しんだ音楽の魂は作品の理解の立派な素地を作った」(Weber, 前掲同書、380頁)のである。

5.さいごに/日常生活のリズム空間に向けて

ウェーバーの生涯にわたるテーマは「合理化」であった。それを芸術領域において発揮したのが『音楽社会学』であったといえよう。「合理と非合理の緊張関係」を軸にして西洋近代合理化が進展したという定式に対して、本稿は、合理性をリズムという見地から捉え返すことを試みた。これによりウェーバー音楽社会学」理解に新たな可能性が見出せるかもしれない。このような視座を踏まえた上で、以下のような議論を展開することができよう。リズムを音楽内在的に検討することの限界に関わる議論である。たとえばリズムの起源を音楽に求めないE.ホールは、コミュニケーション論において有意義な問題提起をしており(Hall, 1983, 宇波訳1983)、マルクス研究者であるH.ルフェーヴルはリズムの見地から地中海都市を分析している(Lefebvre, 1992)。日常生活の広範囲で響き渡るリズムの考察が今後も期待されるところである。

 

 

参考文献

 

*1:本稿では、ウェーバーの引用および参照に限り文献略号を用い、頁は翻訳頁とする。略号の詳細は参考文献表を参照。

*2:同様のことは『宗教社会学』(RS:299-300)を参照。

*3:芸術家らの創造力に対して抑圧的であった合理主義をいやしむ当時の時代的風潮において、芸術の形成にあずかったのが科学であるという事実は、「ウェーバーをことのほか昂奮させた」、とマリアンネ夫人も伝えている(Weber, 1950, 大久保訳1963、264頁)。

*4:音楽社会学』は、脚注すら残されていないメモ程度のものを編集したものである。邦訳版にある脚注は、訳者の安藤英治らによって解説を加えられたものである。つまり「音楽」のみをテーマとする文献が存在するという事実は、音楽を他の芸術と比べて特別に位置づけているということの根拠にはならない。しかし『宗教社会学論集』の「序言」では、音楽には一つの段落が費やされているのに対し、その他の芸術領域は一括して記述されていることから、「音楽社会学」は芸術社会学の単なる一環として位置づけられるものではなく、特別な存在であったことが考えられよう。(勝又、1987、84頁)

*5:このなかには、T.パーソンズ、H.ベッカー、J.ヴァッハらも含まれるという。詳細は(Honigsheim, 1968, 大林訳1972、225頁)を参照。

*6:ここで触れているのはクラーゲスの「性格論」に関するもの(AR:27)。

*7:これに関連して、「拍子はあくまで合理的に考えられた人工的な時間秩序であって、拍子をまったくもたない自由リズムも存在するし、現代音楽にあって無拍子は、むしろ一般的傾向である」(芥川、1971、88頁)という指摘は、音楽学の見地からと同様、クラーゲスの見地からも議論する余地が残されていると言えよう。

*8:ウェーバーが近代リズム法に触れる箇所でメトロノームを否定するのは(M:6)、その機械性を否定しているに過ぎない。

*9:もっともD.ケスラーは、「合理化」という普遍史的過程がウェーバーの中心テーマであり、その過程は卓越した社会学的意義をもつゆえに、この種の切り離しは適切ではない、ということを指摘している(Käsler, 前掲同書、195頁)。

*10:そのような「音楽の社会学的基礎」はその後A.シュッツによって継承されたと言えよう。シュッツは、音楽を伝達する側と受容する側とのコミュニケーションを「波長」で説明した(Schutz, 1964, 渡部・那須・西原訳1991、221-244頁)。

*11:たとえば安藤(1965、227-228頁; 1969、319頁; 1979、94頁)。高橋(2000、30頁)にいたっては「陽光による意図せざる光線療法」をうつ病の完治と結びつけている。