「ルート」からとらえた「ルーツ」のありかた/旅人のリズミクスを考察する試み

本稿の目的は、旅の途上にある文化的なるものを分析するための一つのアプローチとして、旅人らが奏でるリズムや旋律という視点に着目し、それを体現するための試みとして、トランジットを結合する「筋」を生み出す移動のあり方を考察することである。旅、トラベル、ノマドディアスポラといった概念は、メタファーであることも含めて、現代諸理論の趨勢に占める割合が大きくなってきたといえよう。アイデンティティや文化をそのような移動に近接する概念から捉え直す議論は後を絶たないが、本稿では、移動の途上における動きうるものの出会いが文化的中心を生み出す契機となりうるということを主張するに際して、文化に先行するリズミクスという考えを提示する。このことを検討するにあたって、P.ギルロイやJ.クリフォードによる「ルーツ/ルート」概念を整理し、二つの移動類型(「アガル移動」と「ノボル移動」)をこれらの議論に浸透させながら、ルートの途上にあるものとしてのルーツから移動を捉える。これらの議論を本稿の展開に導入することによって、移動民が共有するリズムや旋律を探る視角を提示してみたい。

1 はじめに

旅をしていると、空港が同じように見えることがある。ジャマイカのモンテゴ・ベイ空港が「ココナッツ・ラムの香り」で到着客を誘ったとしても、ジャカルタ空港が「クローヴ・タバコの香り」で到着客を誘ったとしても、この二つの空港には何か同じような「香り」が漂う。あるいは、ミャンマーヤンゴン空港が「パゴダの景観」で到着客を誘ったとしても、イースター島のハンガロア空港が「モアイ像の景観」で到着客を誘ったとしても、この二つの空港には何か同じような「景観」が拡がる。

遠い異国の地で何か異質なものと出会ったとき、そこには、以前に故郷で見たことのある、あるいは旅の途上のどこかで味わったことがあるようなものを感受する瞬間がある。旅や移動を繰り返していると、似たようなスケープが眼前に拡がりを見せることに気づく。それでも個々の世界はまた、それぞれに異なった様相を呈することもある。世界が同じように見えるが異なっているといったこのような感覚に、構造のグローバリゼーションがもたらした資本の移動という解釈を加える論者もいる。例えば、N.ガルシア・カンクリーニは「モダニティへの出入(entering and leaving modernity)」という表現を用い、脱領土化と再領土化のテンションによってもたらされた新たなるシンボリックな演出としてハイブリッド文化を捉えようとしている(García Canclini, 1995, p. 228)。

しかし、空港が醸し出す雰囲気、あるいは空港が演出するものとは異なる、言い換えるならば、資本がもたらす類似性とは異なる、旅人の身体から滲み出る香りや、旅人が醸し出す景観といったものがあるのではなかろうか。おそらく、空港がどこも同じように見えてしまうのは、各空港の微妙なニュアンスを軽視しているからではなく、単に似たような外観によるものでもなく、何かそこにある「リズム」のようなものによるからなのではなかろうか。旅に特有の香りや雰囲気といった感覚が旅人らの間から醸し出され共有される、あるいは、旅人らが奏でるリズムや旋律に似た景観もあるのではなかろうか。本稿は、旅の途上で何かを自分に重ね合わせるうちに根源となる自分の内面の何ものかが動きだし(トラベル)、異質なものと出会った際に戸惑い(トラブル)、そのエピソードを記憶に蓄積してゆくプロセスにおいて、移動したからこそ育まれる、旅人が伝え合うリズムや旋律のようなものを探究するためのアプローチを「リズミクス」とし、それを検討するためのプロローグとして「ルート」の視点から「ルーツ」を捉える試みである。

2 リズミクスとは

本稿で提示される「リズム」という概念は、明確な構造を有しているとは限らないという点で「社会」とは異なるが、E.リードが主張する意味での「旅人社会」(Leed, 1991 伊藤訳1993、377頁)に近いものではある*1。但し、それはより揮発的なものであるという意味において「社会」ほど明示的ではない。それは「文化」ほど固定的なものではないが、A.アパデュライが主張する意味での「文化的なるもの(cultural)」(Appadurai, 1996, p. 12)に近いものではある。しかし、「文化」から派生した「文化的なるもの」という概念では、旅人が奏でるしなやかな旋律や活動的な躍動感は十分には伝わらない。

単に移動する人々が共有する「文化的なるもの」という言葉で置き換えてしまうと、それに至る実践的なプロセスが捨象されてしまう。リズムは文化や社会に全て回収されるようなものではなく、何か人々の身体に近いレベルで培われているような、それでもコンテクストの異なる人々と共有されうるものである。それは、生きられた財産が共有され、文化や社会に注ぎ込まれるプロセスを記述するためのパースペクティヴ、すなわち、リズミカルな方法で人々が「生の営み」によって世界を作り上げていく一つの視座を提供するものとなる。

例えば、いわゆる定住民が旅に出たとする。彼らは旅の途上で様々な経験世界を目の当たりにするが、査証あるいは渡航目的が「観光」である限り、彼らは現代社会においては「ツーリスト」でしかありえないのが現実である。D.マクキャンネルは「ツーリスト」という概念を、モダニティを明示するためのメタ社会学的概念へと敷衍させ、ツーリストを見ることによって社会科学者自身の理解がより深まると主張している(MacCannell, 1976, p. 1)。

しかし「ツーリスト」というものが今日、実体としてどこまで有効な概念であるかは甚だ疑問である。ツーリストは無形な存在なのかもしれない。捉えどころの無いメタモルフォーシスな現代移動民が社会科学者の理解を超える存在となってきた今、「リズム」という分析装置が有効性を発揮するのではなかろうか。本稿が取り上げる「旅人」という概念は、具体的な移動民を指すのではなく、むしろ移動性がもたらす「リズム」に照準を合わせたものである。この試案によって、「旅性」あるいは「旅モード」といった性質が多様な移動民の間で共有されうる、移動がもたらす一つの局面を照射することを課題とする。

行為/身体レベルでの「移動性」を記述するのに有効な手段としての「リズム」という観点には、H.ルフェーヴルも既に注目していた。晩年のルフェーヴルは、日常生活の中に社会的空間を見出し、都市や街路の喧噪といった些細な場面に着目し、「リズム分析」を援用することによって空間生産の概念に一石を投じた。ルフェーヴルのリズム分析は社会空間を個々人の身体のレベルから捉え返す試みであったが、それは「身体それ自体の内に幾つもの感覚から構成される連続的なレベルが存在し、それらが社会空間の層や相互連結といったものを予示する」(Lefebvre, 1991, p. 405)からである。旅人が奏でるリズムは、移動という媒体によってその空間的拡がりを見せる。身体に刻印された「自己のリズム」は外部に指向した「他者のリズム」へと連なるが、両極間には複数のリズムが交差したり、旋律の高さが微妙に変化する「移調」を生み出す(Lefebvre, 1996, p. 235)。コンテクストが成立しない諸要素は全てリズムに分解され、性質の異なる複数のリズムが同時進行するポリリズムが形成される。ルフェーヴルのリズム分析は、対立するものがアンサンブルを生み出すパラダイムとしての解釈を有効とする*2。次節では、コンテクストの異なるものの間から何か調和的なものが生まれ、差異が浸透し合う空間をもたらす契機としての「ルーツ」と「ルート」という概念の導入を試みる。

3 ルーツからルートへ

まずはじめに、本稿で取り上げる移動の着眼点を、移動に関する動詞の分析を援用することによって明確にしておこう。上への移動を表す二つの動詞「アガル」と「ノボル」は次のように区別される。「アガルはある状態を離れること、および、ある状態へ移行すること、または、移行した事実を述べ、ノボルは上への移動のその経路や移行の経過、過程に焦点をあて/(中略)/始めの状態(基点)を離れることに焦点をあてたり、非連続的移行を表したりはしない。また、移動自体を言う語なのだから、完了を示すこともない」(馬場、1993、4頁)。さらに、「ノボルは、自分で動きうるものの全体的な移動を表すが、アガルにはそのような制限はない」(山田、1976、18頁)。これを言い換えると、「アガル」は、到達点に焦点を合わせ、自分が今いる地点から離れていくことを強調する移動で、目的地が明確である。それは、ある移動によってもたらされる所在の変化を述べるに過ぎず、そのプロセスにおける一つ一つの具体的な動作が物語となってわれわれの目に浮かぶものではない。一方「ノボル」は、経路に焦点を合わせ、自分が今いる地点、あるいは過去にいた地点を引きずりながら移動それ自体を味わうゆったりとした移動で、目的地はあったとしても到達する必要はない。そこにはずいぶんな道のりが想像され、一歩一歩踏みしめるプロセスからは、そこに強い意志が働いていることが読みとれる。移動を線的に捉えると、「ノボル移動」の途中にある点は、短距離上のものとして見れば、長いプロセスの結果として物語が完結する一つの目的地であり、長距離上のものとして見れば、さらに長い旅路へとつながる一つの中継点に過ぎないのであろう。

それでは、移動の焦点を経路に合わせるとはいかなることか。それはおそらく、ガルシア・カンクリーニの主張にもあるように、文化と場所の「自然な」関係が喪失し(García Canclini, 1995, p. 229)、場所がもはやわれわれに何も保証しないこととも関連するのではなかろうか。われわれは、線上に点在する定点として点を捉えることでしか、現代のこの複雑性や流動性を把握することができないのかもしれない。そのためか、近代を線的に捉え返す試みがなされている。ディアスポラはまさにその典型であろう。ディアスポラアイデンティティが複数のホームを持つことを約束する。それゆえ、移動の途上にあるネットワークを探求するのに、一つの定点に焦点を絞るのには限界がある。ディアスポラにおけるホームとのつながりはリニアーではなく、線上における定点と定点の関係性をもちうる。P.ギルロイは、そのような試みの一環として「ブラック・アトランティック」を唱えている。

ギルロイは、これまでネイションの枠組みで語られてきた黒人の問題に、大西洋を横断して構成されたディアスポラという視点を導入している。大西洋の黒人とアフリカン・ディアスポラの歴史を通じて近代を読み直す試みである。近代の黒人政治文化は常にアイデンティティというものを「ルーツ(roots)」や「根源性(rootedness)」との関係に回収し、移動や媒介のプロセスとしてアイデンティティを捉えようとはしなかった(Gilroy, 1993, p. 19)。しかし、移動の加速化は黒人達の大西洋体験を横断させた。それゆえ、その大西洋ネットワークを、単に固定した点と点を連結させた集合としてではなく、ロケーションのフローから構成されたものとして捉えなければならなくなった。「それはもはや、同一可能で可逆的なパターンが始点へとつながるような単純で一方向的なディアスポラなどではない」(Gilroy, 1995, p. 26)。それは、近代のカウンターカルチュアとしての、黒人の観点からのプロジェクト(ibid., p. 19)なのである。

そこでギルロイアフリカ系アメリカ人の語りを脱中心化し、「アウターナショナル」かつ「トランスカルチュラル」の再概念化が黒人アメリカ人やヨーロッパの黒人に及ぼしたインパクトを考察する。ギルロイは大西洋世界の複数の点を結びつけ、それら点の集まりをトランスカルチュラルでインターナショナルな形態のフラクタルな構造として「ブラック・アトランティック」と命名した。

ギルロイはこの試みの事例として音楽文化を検証する。黒人音楽を語る場合、真正なる黒人音楽がレゲエ、ブルース、ジャズ、ソウル、ラップなどと融合するなかで伝統が失われた、という解釈は起源(ルーツ)を探求するものである。そうではなく、黒人音楽が国境を越えたディアスポラな旅の途上で複雑に交差する経路(ルート)を明らかにしていかなくてはならないのだとギルロイは主張する(Gilroy, 1993, pp. 73-75)。アフリカに起源をもつ音楽とリズムは様々に変容し、多くの音楽形態を生み出した。それらは常に作り直されて今に至るわけだが、決して真正なアフリカのリズムが希薄化したものではなく、新しいディアスポラの音楽なのである。

ブラック・アメリカから伝えられた要素は英国でも再生され、新しいヴァナキュラーな黒人文化(ibid., p. 15)を生み出した。そのため、ギルロイも主張するように、「もし仮にこれらの人々が団結することがあれば、それは、奴隷制度の記憶やプランテーション社会の残存というよりも、移動体験によるもの」(ibid., p. 81)なのである。

ここでのギルロイの主張は、純粋な起源としての「ルーツ(roots)」を探究することの重要性ではなく、歴史的道程としての「ルート(routes)」を明らかにしていく必要性である。しかしながら、移動によってルーツを闇に葬り去ることはできない。ルーツは決して消し去ることのできるものではない。ブラック・アトランティックは、ルーツとつながりつつもルートに焦点を合わせることを意図した、歴史と記憶を連結させるノボル移動として捉えられなくてはならないからである。

しかしルートという概念は、旧植民地、旧奴隷制、周辺の人々だけに有用な概念でもなければ、文化や歴史を戦略的に捉え直すだけのものでもない。ルートは、移動を伴う場所、あるいは移動の途上にあってはどこでも、移動民のアイデンティティが少しずつ再構築されるということを示す広義のモデルとなるからである。これに関しては後述するとして、次に、移動の質を明確にしながら、ルーツ(起源)とルート(経路)のあり方を考えてみたい。

4 ルートのためのルーツ

(1)トランジットを媒介としたルーツのありかた

「移動」の近接諸概念は、近代における主体のシンボリックな位置づけを示すものとして語られると同時に、様々なメタファーに転用されてきた*3。そして、現代社会は加速する移動民時代の様相を呈してきた、というのは今ではすっかり決まり文句となってしまった。現代の移動は、その範囲、移動量、移動距離など全てにおいて急激に拡大している。だがしかし、生活レベルにおけるわれわれの移動の多くはアガル移動であり、意識レベルにおいてわれわれが感じたり考えたりする、おそらくは自分自身で動きうるものの全体的な動きを伴うようなノボル移動とは区別されなくてはならないのである。

ブラック・アトランティックは、根源と全く分離したものではないかたちで経路に着目しているという点ではノボル移動であるが、自分が動きうるものという意味での「意志」を伝えることはない。それは、音楽が人々を結びつけるのであって、人々が音楽を結びつけるわけではないからである。その意味で、ギルロイの主張するようなルートからは、われわれが関心を寄せる移動民の内実や、旅人世界の内奥は見えにくいものとなる。かつてE.サイードは、心象地理による「我々-彼ら」という図式が、「彼ら」の側がこのような区別を承認する必要が全くないという意味で恣意的である、という点に留意したが(Said, 1978, 板垣他監修1993、130頁)、ブラック・アトランティックは、「我々」の側においても、共同体が表象するものと、個々人がその表象をどのように解釈するかが同一であることは保証されないという問題を生じさせる。

文化の経験とその意識を問い続けるA.P.コーエンは、人々が文化を意識しその資質を経験するのは「手の込んだ、そして限定された儀礼ではなく、日常的実践の査定を通じてである」(Cohen, 1982, p. 6)とし、F.バルトの「境界(boundary)」概念を援用しつつ、文化的シンボルとしてのエスニシティが表象するものと、そのシンボルのもつ多元性や異質性とを区別することを主張したうえで、意識の面から文化にアプローチしている(Cohen, 1994, p. 120)。コーエンは、コミュニティがシンボリックに構成されると主張する。境界の構造的基盤が曖昧になると、シンボリックな基盤が強化され、経験におけるコミュニティのリアリティはシンボルの共有体系に備わるものとなる(Cohen, 1985, p. 16)。しかしシンボルの共有が必ずしも意味の共有と結びつくとは限らない。それは、シンボルが順応性に富み、諸個人の状況に適応されるからである。シンボルは「意味を生産する手段を与えるに過ぎない」(ibid., p. 19)。それゆえに、ツーリストらが共有する同じシンボルが異なった意味をそれぞれに指示することも起こりうる。それはつまり、ツーリストの見せかけの同質性が異質性というリアリティを隠蔽することにもつながる。コーエンは文化の定義を「成員によって経験されたものとしてのコミュニティ」(ibid., p. 98)としているが、それは、文化が社会構造や社会的振る舞いにおいてではなく、それらに関しての我々の思考において存在することを意味する。

このことを検討するにあたって、次に、自分で動きうる移動の一例として、経験と記憶を連続体のなかで捉えたI.カルヴィーノの小説『マルコ・ポーロの見えない都市』*4を取り上げてみよう。旅の途上で見てきた都市についてフビライに語るマルコ・ポーロの旅の軌跡をテーマとしたこの小説で、カルヴィーノは連続都市論を展開する。故郷ヴェネツィアについては語ろうとしないマルコだが、実は、他の都市に関する語りの中で知らず知らずのうちにヴェネツィアのことを語っていたのだ(Calvino, 1972, 米川訳1977、118頁)。マルコがその記憶の痕跡を残してきたこれまでの諸都市は、その旅の途上で少しずつマルコの身体に浸透し、同時に、故郷ヴェネツィアは語りの中で知らず知らずのうちにマルコの身体から滲み出ていたのであろう。ノボル移動の途上は連続的な移行の中にあり、それは決して故郷ヴェネツィアとの決別を意味するものではない。しかし途上において故郷を語ることは、自分が余所者であるという事実すらも否定することにつながってしまう。それゆえ、異郷の地においては、少しずつ故郷を消費しながら中継点での自己を生産し続けることになる。中継点に自分自身を揮発的に重ね合わせる旅人は、故郷とつながりながらも、それぞれにおいて別々の旅を演出することになる。トランジットにおいては余所者である旅人は、少しずつヴェネツィアを失いながらも、残されたヴェネツィアの記憶に様々な旋律を加える。

しかしそのような旅の途上での追憶を重ねるにしたがって、途上でのそれぞれのトランジットは「何か別格なもの」から、徐々にではあるが、「何か似たようなもの」へと変容する。それは、故郷を媒介としてトランジットの意味を解釈する、あるいは、トランジットにおいて故郷が自然と滲み出てくるからというだけではなく、それ以上に、各々のトランジットが「もうすでに見たことがある」ような様相を呈するからなのではなかろうか。メキシコ・シティに行ったことがあるからこそ、遙か4,000マイル離れたブエノスアイレスのことが、そしてマカオポートモレスビーのことさえも何となく分かることがある。マルコ・ポーロにとってのトルーデの地は、まさにそのような、途上に存在する都市を結びつけるシンボルとなっている。初めて見たトルーデのことをマルコはもうすでに「知り尽くし」ていた。それは、世界中がトルーデで覆いつくされており、空港の名前によって自分の居場所を確認するのみ(同上書、176頁)となるからである。しかし、世界がトルーデで覆いつくされているのは、ガルシア・カンクリーニを含む多くの論者らが主張するような、単に「領土的なリロケーション」という構造的グローバリゼーションの問題なのであろうか。

トランジットの地を重ね合わせることによって、旅人は「どこにでもいる」と同時に「どこにもいない」存在となる。それは、定点と定点とのあいだに拡がる空間を覆うものが海や陸、あるいは明確な輪郭を伴ったものではなく、そこにあるのはただそれら定点を引き連れるコンテクストであるに過ぎないからなのであろう。その意味では、トルーデは世界の「どこにでもある」存在であると同時に「どこにもない」存在であるとも言えよう。慣れ親しんだチェチリアの街から遠く離れた土地で道に迷ったマルコ・ポーロが、羊飼いに道を尋ねた際に、実は自分の居場所がチェチリアであったことを知らされる一節がある(同上書、207-208頁)。幾多の旅を重ねるうちに、マルコにとって馴染みのチェチリアは「見えない」都会と化してしまったのだ。

チェチリアは、「どこにもない」のと同時に「どこにでもある」場所としてマルコの目には映る。それは、ヴェネツィアを引き連れる旅の途上で、マルコが少しずつヴェネツィアを失い、トルーデやチェチリアを自らのリズムに浸透させるからである。マルコはここで、内からの感情を伴いながら自らをトランジットに重ね合わせ、ヴェネツィアに始まる連続する曲線を辿りながら、それらを結合させる。しかしそれは曲線上の停泊地をただ直線で無理やりつなぎとめるという営為ではなく、自分がこれまで痕跡を残してきた途上に存在する記憶を一つ一つ「いまここにいる自分」のリズムに溶かし込むという追憶の旅なのである。一つ一つの記憶をルートを経ながら結びつけることによって、旅人は、よりスパンの長い、目的地がありそうだが辿り着けそうもないノボル移動を、知らず知らずのうちに築き上げているのかもしれない。

自分を何かに重ね合わせようとしながらも他者に辿り着こうとするプロセスにおいて、この二つのあいだのズレに直面しながらも、何かぼんやりとしたリズムの中を旅人は彷徨う。故郷は旅の途上でヴェネツィアとなる。ルーツはルートのためにある。

カルヴィーノが描くマルコ・ポーロの報告は、故郷を引き連れる旅の途上の物語である。しかし旅のナラティヴは、この連続的に移行する途上の中だけで完結するものではない。例えば人類学者であるR.マーフィーは、ムンドゥルク族を調査するためのアマゾンへの旅と、身体麻痺という不治の病で直面する自己の内側へと指向する経験とを結びつけ、「身障の世界への旅」の中で心象的な出会いをする(Murphy, 1987, 辻訳1992、257頁)。境界線を越えて様々な異文化に出会うことで、旅路は一本の「筋」でつながる。境界を越える旅、あるいは境界域への旅は、ヴェネツィアを複数の領域に引き連れ、また、それらをヴェネツィアに引き連れるのである。

われわれの身近には、様々な境界が存在する*5。日常生活において横切ることになるそのような境界は、われわれが平凡な経験のなかで住まう家庭、近隣、労働、消費といった領域をつなげる連結点となって、関連するそれら全てを一つの束にしている*6。ゆえに、境界は決して「裂け目」や「周縁」なのではなく、エンカウンターとしてのマージナリティ(Stonequist, 1937, p. 3)なのである。それは、周縁でありながらにして他の世界へとつながることを意味する。そしてそれは、歴史によってわれわれに課されたアイデンティティというレガシーのみならず、きわめて世俗的な場面にも該当するのである。

経過としてのルートという概念は、ノボル移動のリズムを把握する際に一つのモデルとなりうる。しかしそれを、ギルロイが試みたような歴史的道程としてではなく、今でも何か途上にあって動きのあるものを捕ら(捉)える手段として解釈することも有効であろう。次に取り上げるJ.クリフォードは、そんな可能性を示唆している。

(2)旅する途上のルーツ

J.クリフォードはマルチ・ローカルなディアスポラ文化をギルロイと同様に「ルーツ」と「ルート」を手掛かりにして解明しようとした。確かに「ディアスポラ」がポストモダン的言語に読み替えられることを危惧してはいるものの、クリフォードにとって、ルーツとルートは幅広い解釈の余地を残した概念となる。そしてその背景には人類学における文化記述の問題があったということは想像に難くない。それは、境界づけられた場所として、住むに適した文化の中心として、そして文化を表象するものとしてヴィレッジを捉えることに対する挑戦であった(Clifford, 1997, p. 22)。クリフォードはフィールドを対話の実践が繰り広げられる場所として捉え、それを居住としてではなく一連の旅の途上での出会いとし、「旅をしながらの居住(dwelling-in-travel)」と表現した(ibid., p. 2)。

ギルロイ同様、クリフォードはボーダーや文化を越える移動を歴史的なルートから解明する(ibid., p. 279)一方で、途上にあるヴィレッジをもルートというファインダーに収めようとする。この点から翻ってルーツとルートを捉え直すと、ルーツは近代批判の対象となった「歴史的根源」というよりも「停泊する場」というように、そしてルートは「ブラック・アトランティック」が提示した「歴史的道程」というよりもむしろ現在も、それにこれからも進行し続けるであろう「旅の途上」という解釈を施される。複雑な経験領域として出現する移動は、ローカリズムを侵す横断と相互作用の実践として位置づけられ、それによって、ローカルな定点にとってのトランスファーや延長というよりも、むしろ文化的意味を構成するものとして捉えられるのである(ibid., p. 3)。

ここでルーツはルートの始まりとしてではなく、ルートの途上に位置づけられる。つまりそれは単に故郷の記憶を引き連れることに執着するものではない。したがって、クリフォードのルートから「ブラック・アトランティック」を捉えると、それは故郷との継続的な関係や帰還とは必ずしも結びつかない「擬似的なディアスポラ」(Clifford, 1994, 有元訳1998、124頁)となってしまう。ここで注目すべき点は、「途上としての」ルートにおける「停泊地としての」ルーツでの人々の出会いが、文化的中心を生み出す契機になりうるということであろう。それは、ルーツが曲線に始まる連続的なノボル移動の途上にあるからである*7

しかしながら、ルートという概念の強調は定点としてのルーツの否定を意味するものではない。旅人は停泊する場としての定点を必要とするのである。さらに、移動の途上にあっても変わらないものもある*8。旅を文化的実践の前面に出すということは、居住についての再考が要請されることにもつながる。居住はもはや旅の出発点でも終着点でもなく、トランジットに置き換えられる。その意味において、「旅をしながらの居住(dwelling-in-travel)」は「居住しながらの旅(traveling-in-dwelling)」ともなる(Clifford, 1997, p. 44)。定点は決して旅の途上から閉め出されるものではないからである。

つまり、ネイティヴとトラベラーの関係を横断するような概念として旅は位置づけられる。やがて移動が規範となれば、「移動は人々のアイデンティティともなり、『異人』という共通のアイデンティティを獲得し実現するための一方法となる」とリードは主張するが(Leed, 前掲同書、373頁)、それは、新しい世界をその途上で生み出し続けることと同時に、新しい起源の地(ルーツ)を生産し続けるための条件ともなる(同上書、381頁)。それゆえに、ディアスポラにおいてもホームランドの意味が問われるのである。マルコ・ポーロにとってのルーツとは、この場合、ヴェネツィアなのではなく、時にはトルーデであり、またある時にはチェチリアであったりするのである。それは、多様なトランジットの蓄積によってルーツが洗練されて、異なった様相を呈することとなるからである*9

基点を引き連れるノボル移動の観点からクリフォードのルートを捉えると、ルートは複数のルーツを結合させる「生命を伴った筋」のようなものとなる。メキシコ・シティに行ったことがあるからこそ、遙か4,000マイル離れたブエノスアイレスのことが、そしてマカオポートモレスビーのことさえも何となく分かることがあるというのも、歴史的根源としてのルーツの記憶が単に中継点において洗練されるからではなく、旅の途上にある中継点が次第に重なり合ってゆくからなのではなかろうか。例えばバックパッカーたちがバンコクカオサン通りに集まるのも、単に同じ言語や文化を共有しているからではなく、彼らがそこに辿り着くまでにトランジットの記憶に込められたリズムが、その瞬間、互いに溶け合うことを体感するからなのではなかろうか。さらには、これから出会うことになろうトランジットを結びつけるために、そこで出会った旅人らが奏でるリズムを自らのリズムと調和させながら、それを再び記憶の貯蔵庫に蓄積させているからなのではなかろうか。

ルートでつながるルーツは、過去から現在、そして未来へと導かれ、ルーツは常に「いまここに」存在し、そのようなルーツはルートとともに動く(トラベル)ことにもなる。トリン・ミンハは「言語を横断する放浪者」というメタファーで知識人を表し、「彼らは言語と表象という古典的機能を攪乱し、現前の安定にはけっして満足しない/(中略)/あらゆるものは動く。安全で健全だと思われているものも、そのプロセスのなかで、かならずその立場が揺らいでいく」(Trinh T. Minh-ha, 1994, 竹村訳1996、254頁)と述べる。旅人はトランジットとしての定点に、永久にではなく揮発的にほんの束の間の休息を求めて停泊するのであろう。自己を重ね合わせるためにはルーツを必要とするが、また再び旅立たなくてはならない。それは、ルートには、あっても辿り着けない目的地へ到達させようとする遠心力と、自分をそこに止まらせようとする求心力との間に作用する力が宿るからである。帰る故郷が無いけど帰りたい。その意味で、故郷は遠くに在りて想うものではなく、身近に在りて気づかないものなのかもしれない。おそらく、自分で動きうることによって幾つもの旅の途上を引き連れるノボル移動というのは、永遠に未来完了形のプロジェクトなのではなかろうか。そしてそれは、動くことから始まるのである。

5 旅人のリズミクスに向けて

旅人は、ノボル移動の途上において幾多もの記憶を蓄積すると同時に、そこでの記憶を活性化させながら、自分がこれまでに歩んできたルーツが織りなすルートの世界を生きる。そこでは、移動しなかったならば見知らぬ者同士で終わったはずの人々の間で、動くことによって紡ぎ出されるリズムが確認される。しかし旅人の世界は必ずしも一様であるわけではない。それは、彼らの世界が一つのリズムを基盤としながらも、多様な旋律を繰り出し、同じように見えるが異なる様相を呈するからである。動きうる移動民にとって、このリズムは一つの共有財産となる。移民、旅人、ツーリスト、エグザイルといった全ての移動民のうちのどこかに宿るこの共通感覚のことを生気にあふれたリズムと表象するならば、おそらくは、文化的なるものというのは、その延長上に位置づけられるものであるのかもしれない。

身振りで意思の疎通を図っていたマルコ・ポーロフビライは、やがて理解可能な言語で報告し合うようになるが、それでもなおフビライの心によび起こされるものは、かつてマルコの身ぶりから発せられた表象であり、言語を介した新たな情報はその当時の表象から獲得された意味を媒介とし、そしてその表象に新たな意味を付与させるのであった(Calvino, 前掲同書、32頁)。フビライは既に、マルコ・ポーロとともに旅の途上にあったのだろうか。であるならば、それは、フビライのなかにある異邦性がよび起こされたからなのかもしれない。新原は、自分の中にあるそのような境界域や境界線を「内なる異文化」(新原、1997、173頁)としたが、それは、自分が引き連れる停泊地、生命を与えられた「筋」によって結ばれるトランジット、そして自分で動きうる移動のプロセスにおいて、他者と関わることで想像以上の広がりを展開するパッケージとなる。曖昧だが何となく完成された「音楽」を検証するのではなく、あるいは、一つの「音楽ジャンル」が完成されるに至った経緯(ルート)をブラック・アトランティックのように、様々な「音楽ジャンル」といった構成要素から歴史的に捉え返すのでもなく、むしろ、ドラムやコンガやピアノといった個々の楽器が奏でる「音」の世界が一つのまとまった音楽を繰り出すのに必要とする「リズム」を検討することで、旅の別様な見方が可能となるのかもしれない。ルートからルーツを捉え返す試みは、旅のリズミクスを体現するための一つの糸口となるのではなかろうか。

 

 

 

 参考文献

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  • Cohen, Anthony P., 1982, 'Belonging: The Experience of Culture,' in Anthony P. Cohen (ed.), Belonging: Identity and Social Organisation in British Rural Cultures, Manchester: Manchester University Press.
  • Cohen, Anthony P., 1985, The Symbolic Construction of Community, London: Routledge.
  • Cohen, Anthony P., 1994, Self Consciousness: An Alternative Anthropology of Identity, London:Routledge.
  • García Canclini, Néstor, 1995, Hybrid Cultures: Strategies for Entering and Leaving Modernity, Minneapolis: University of Minnesota Press.
  • Gilroy, Paul, 1993, The Black Atlantic: Modernity and Double Consciousness, Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press.
  • Gilroy, Paul, 1995, 'Roots and Routes: Black Identity as an Outernational Project,' in H. W. Harris, H. C. Blue and E. H. Griffith (eds.), Racial and Ethnic Identity: Psychological Development and Creative Expression, New York: Routledge.
  • Leed, Eric, 1991, The Mind of the Traveler, New York: Basic Books, Inc.(伊藤誓訳『旅の思想史』法政大学出版局、1993年)
  • Lefebvre, Henri, 1991, The Production of Space, Oxford: Blackwell.
  • Lefebvre, Henri, 1996, Writings on Cities, Oxford: Blackwell.
  • MacCannell, Dean, 1976, The Tourist: A New Theory of the Leisure Class, New York: SchockenBooks.
  • Melucci, Alberto, 1989, Nomads of the Present, Philadelphia: Temple University Press.(山之内靖・貴堂嘉之宮崎かすみ訳『現在に生きる遊牧民岩波書店、1997年)
  • Murphy, Robert F., 1987, The Body Silent, New York: Henry Holt and Company.(辻信一訳『ボディ・サイレント/病と障害の人類学』新宿書房、1992年)
  • 新原道信、1997、『ホモ・モーベンス』窓社
  • Rosaldo, Renato, 1989, Culture and Truth: The Remaking of Social Analysis, London: Beacon Press.(椎名美智訳『文化と真実/社会分析の再構築』日本エディタースクール出版部、1998年)
  • Said, Edward W., 1979, Orientalism, New York: Vintage.(板垣雄三杉田英明監修『オリエンタリズム/上』平凡社、1993年)
  • Schutz, Alfred, 1964, Collected PapersⅡ: Studies in Social Theory, edited and introduced by Arvid Brodersen, Martinus Nijhoff, The Hague,(アーヴィット・ブロダーセン編、渡部光・那須寿・西原和久訳『アルフレッド・シュッツ著作集(第3巻)社会理論の研究』マルジュ社、1991年)
  • Shami, Seteney, 1999, 'Circassian Encounters: The Self as Other and the Production of the Homeland in the North Caucasus,' in B. Meyer and P. Geschiere (eds.), Globalization and Identity: Dialectics of Flow and Closure, Oxford: Blackwell Publishers.
  • Soja, Edward W., 1996, Thirdspace: Journeys to Los Angeles and Other Real-and-Imagined Places, Massachusetts: Blackwell.
  • Stonequist, Everett, 1937, The Marginal Man, New York: Charles Scribner's Sons.
  • Trinh, Minh-ha T., 1994, 'Other Than Myself / My Other Self,' in G. Robertson et al. (eds.), Traveller's Tales, London: Routledge.(竹村和子訳「私の外の他者/私の内の他者」今福龍太他編『世界文学のフロンティア/旅のはざま』岩波書店、1996年)
  • 山田進、1976、「アガルとノボル」柴田武編『ことばの意味』平凡社

 

*1:ここでリードが定義する「旅人社会」とは、「たとえば、突然強い風に乗ってテキサス上空を何マイルも流された時に形成される」機内の共同体に見られるような、断片から成り立つ流動的な「社会」であるが、それでもそこには「法則と規則、傾向と構造」があるという(Leed, 前掲書同書)。

*2:E.ソジャによれば、ルフェーヴルによる空間生産の議論は、フーガという形態をとっており、個別のテーマが多様な対位法によって繰り出される旋律を基盤とするポリフォニックな構成体として捉えられる(Soja, 1996, p. 58)。リズムを捉えるということは、混沌が紡ぎ出す異質性が調和されてはまた再び分離されることを繰り返す作業に似たものだ。それゆえに、空間がフーガという形態をとるのであろう。ルフェーブルは、多様な楽器や声が同時に繰り出される音楽的作品として空間生産を捉えていた。尚、リズミクスに関する詳細な議論は別稿に譲ることとする。

*3:例えば、A.メルッチは時空間を越えるオルタナティヴな公共空間を創り出すための社会運動に参加する者を「ノマド」や「ジャーニー」といったメタファーで形容し(Melucci, 1989, 山之内訳1997、270頁)、Z.バウマンは消費社会の流動的な階層として「ストローラー」に注目している(Bauman, 1996, pp. 26-27)。

*4:マルコ・ポーロが『東方見聞録』を語ったことは有名であるが、カルヴィーノの著は、マルコ・ポーロフビライ汗との対話で繰り広げる空想の物語/パロディーである。空想とはいっても、実際にマルコ・ポーロフビライ汗と接触使節報告をしていることは『東方見聞録』のなかに記されているという。ここでカルヴィーノは、マルコ・ポーロを代弁して『東方見聞録』を語り、その語りのなかで『東方見聞録』が書かれることになることまでも予言してみせる。小説ではあるが、数々のエピソードのなかには、旅人のコードやリズムの本質がしっかりと描き出されているように思われる。

*5:例えばR.ロサルドは、日常生活における様々な「境界領域(border zone)」、「孤立した小地帯(pockets)」、あらゆる種類の「突発的な出来事(eruptions)」(Rosaldo, 1989,椎名訳1998、308頁)などが交錯する現状を「ガレージ・セール」に喩えている(同上書、66頁)。

*6:例えば境界域や境界線は、いわゆる「見える文化」とされる次元のみならず、それほど明確ではないが、明らかに異質なものが出会うような日常の場面においても見受けられる。R.ロサルドは、妻ミシェル・ロサルドが亡くなった後、それまでは気づかなかった、喪失感というものを味わうことのない(と思われる)人々に対する「遺族というみえない共同体」の存在をしることとなる。同様に、彼の息子のマニーも、保育園という制度に縛られることによって、「目にみえない内的な境界線」にぶつかり、「比較的自由に遊ぶ毎日から、それまで経験したこともないような規律正しい世界へと向かう境界線をのりこえようと苦しんでいたのだ」。(同上書、46頁)

*7:例えば、S.シャーミは、コーカサスからイスタンブール、ダマスカス、モスクワなどを行き来するサーカシア移民達が、移動の途上で出会すトラブルを共有する中で日常の絆を強めていく過程を分析している(Shami, 1999, p. 32)。ルートは様々なシンボリズムで満たされるのである。

*8:ここでクリフォードが言及するのはハワイアン・ギター演奏グループのエピソードである。56年間、一度もハワイへ帰らず、異国情緒あふれるハワイアン音楽を世界中で演奏し続けたこのグループは、移動性の高いハイブリッドな環境で、何かハワイアンの「故郷」といった感覚を旅の途上でも維持し続けたという(Clifford, 1997, pp.25-26)。「しかしこれは、彼らが何処にいても持ち続ける『コアなアイデンティティ』という問題ではなく、何かハビトゥスのようなもの、一連の実践や気質といったもので、特定の文脈において追憶され、分節されるものなのである」(ibid., p. 44)。

*9:例えばA.シュッツは「帰郷者論」において、異邦性という不思議な果実を味わってしまった異邦人は帰郷の際に、異郷で獲得した経験をかつての故郷の文化の型に移入しようとするために、新たな異邦性に直面する点を指摘している(Schutz, 1964, 那須他訳1991年、165頁)。