緊急事態宣言なのに「命令」ではなく「要請」?

新型コロナウィルスの感染拡大対策として安倍首相が緊急事態宣言を発令しました。この宣言が発令された諸外国の様子を映像で見る限り、ゴーストタウン化した街並みが目に焼き付いていることでしょう。でも日本ではこのような光景を目にすることはありません。諸外国では「命令」によって外出が禁止されて行動制限されているのに対して、日本では外出を自粛することが「要請」されるに留まるからです。なぜ日本では「命令」ではなく「要請」なのでしょうか。多くの論者が2つの理由を挙げています。第1に、日本人は「禁止」しなくても道徳心があるから「要請」で十分なのだと。第2に、日本には「禁止」できる法的根拠が無いから、つまり緊急事態時における法律条項が無いから。本当のところ、なぜ?と多くの人が疑問に思っているのではないでしょうか。以下に分かりやすく解説します。

まず第1の理由からみていきましょう。日本人は諸外国の人と違って道徳や秩序を重んじるからわざわざ「禁止」までしなくても「要請」で十分に対処できる優れた民族なのだという立派な根拠です。本当でしょうか。もし日本人が本当に道徳や秩序を重んじるから「要請」で十分に対処できるのであれば、なぜわたしたちは校則に縛られて不愉快な学生時代を過ごさなければならなかったのでしょうか。茶髪やピアスは多くの学校で「禁止」されています。道徳や秩序を重んじることを根拠とするのであれば、わざわざ「禁止」にしなくても茶髪やピアスの自粛を「要請」すれば事足りるはずです。もしかしたら、学校内の秩序維持は国内の秩序維持よりも重大であるということなのでしょうか。

あるいは好意的に解釈して、国民は国内秩序の維持の方が重大であると解釈しているからこそ「要請」で事足りるということなのでしょうか。だとしたら、普段の生活においては「要請」よりも「禁止」を目にすることの方が多いのは、普段の生活においては道徳や秩序を重んじないから「要請」ではなく「禁止」にしなければならないという解釈が可能となってしまい、日本人が諸外国の人と違って道徳や秩序を重んじるという説明それ自体が成立しなくなってしまいます。したがって、この第1の理由には十分な説得力が無いことが分かったので次に話を進めたいと思います。

第2の理由は、日本には外出自粛を禁止できる法的根拠が無い、つまり緊急事態条項が法制化されていないからです。少し寄り道しますが、ここでいう緊急事態条項の法制化というのは、緊急事態時の対処に関して「日本国憲法」に明記が無いからということです。なぜ通常の法律ではなく憲法に明記がなければいけないのかというと、緊急事態時の政府による対処が国民の人権を侵害するおそれが多分にあるから、言い換えると、憲法に違反するからです。

憲法は全ての法律の上位に位置し、国民の自由を侵害しないように国家を監視する機能をもっています。わたしたちは憲法第13条の「幸福追求権」によって生命・自由及び幸福追求する権利を、同第22条の「居住・移転の自由」によって自己の住所または居所を自由に決定し移動できる権利を、あるいは同第29条の「財産権の保障」によって物や財産を所有したり処分できる権利を持っています。こういった権利は絶対不可侵なものであることが憲法によって保障されているのです。

しかし、13条でいうところの生命・自由・幸福追求が何かによって、例えば他国からの攻撃や自然災害や今回のパンデミックのようなものに侵害されそうなときには、移動の自由や財産権をあきらめなければならないこともあるでしょう。分かりやすく言えば、「お金」よりも「命」が大切であるということです。生命・自由・幸福追求のためには、ある程度の人権侵害は致し方ないのです。諸外国の緊急事態宣言を眺めてみると、将来的な生命・自由・幸福追求のために、今は移動しないで自宅でジッとしていてくれ(Stay Home)と命令することによって、移動の自由を制限しているわけです。

このように、緊急事態宣言の根拠となる緊急事態条項は憲法違反を許す唯一の切り札的手段なのです。普段は絶対に侵害してはいけない様々な権利として憲法で保障されたものであっても、いざ緊急事態の時にはやむを得ない事情が発生する。いろんな自由が侵害されることがあったとしても、国家あるいは政府としては国民の生命と社会の秩序を守る義務がある。だからそのためには大切な憲法には一時停止していただいて、再び平時に戻った時に登場してもらえばよい。そんな解釈です。

考えてみれば、緊急時には多少の違反も許されることがありましょう。正当防衛がそうです。暴力や傷害や殺人は違法であるけれども、自分の生命を守るためには、自分に危害を加えようとする相手を傷つけたり死に至らしめたとしても法的に罰せられることはない。

同じことは自衛権についても言えます。憲法第9条は戦力の保持を認めていません。でも自衛隊憲法違反ではないと最高裁は判断しました。自衛権は主権国が当然のものとして持つ固有の権利なのです。9条の平和主義は決して無防備や無抵抗を定めたものではないのです。この考え方は世界基準の法解釈において至極当たり前のものとされています。だから西欧諸国およびほとんどの先進国では緊急事態条項が明記されているか、あるいは明記されていなくても正当な防衛手段として憲法に違反することが許されているのです。

そこで憲法に緊急事態条項を記すことは必要かという議論が出てくるわけです。これについては賛否両論あります。加えて、すでに述べた自衛権有事法制の問題も含め、憲法改正議論へとつながります。多くの人が憲法に緊急事態条項などという物騒なものは必要ではないと主張します。緊急事態の際には現在存在する法律で事足りるというのがその理由です。でも、今回の新型コロナウィルスをめぐって、多くの人が早く緊急事態宣言を出さないかなとか、宣言を出すのが遅過ぎたと言って政権を批判しています。

実は、新型コロナウィルスはウィルス以外にも多くのことをわたしたちに提供してくれています。新型コロナウィルスの問題を新型コロナウィルスだけの問題としてとらえるのではなく、何か緊急事態が起きたときに政府は、そしてわたしたちはどうすべきなのかということを考える切っ掛けとして今後1か月間の緊急事態を過ごしていくことになるのではないでしょうか。今回の宣言を根拠として発せられる「要請」によってわたしたちの自由が侵害されることはありません。唯一、医療目的に必要とされる土地建物を政府が占拠することが許されてしまうというのが懸念されるところでしょう。「要請」で事足りるのか「命令」すべきなのか、この1か月の間にいろいろと考えてみたいものです。