地球の問題は日本の問題ではないのか

現代社会」では、そこで扱われた環境問題が自分の身近な問題でなく「世界の問題」であり、具体的な危機感を認識することが困難で、そのために環境問題に対してどのように対応すべきかに関する提言のようなものはあまり見られませんが、この点については「地理」の教科書においても同様のスタンスで扱われています。客観的な概念を網羅している点では現代社会と同様なのです。ただ、その描かれ方には幾つか特徴的なものがあります。環境問題の理解を働きかけることには貢献しているものの、それを行動へと導く本来の意味での環境教育の理念とは多少のズレを感じます。現代社会と同様に、知識としてのインプットを重視したもので、行動や積極的な働きかけといったアウトプットを促すものとはなっていないようです。

知識と情報の科学性と客観性を重視しているため、地理教科書は環境問題を知るためには十分な情報量を持つけれど、環境問題のために行動を起こす方向へと導く切っ掛けにはなっていません。おそらくそれは環境問題を自分の問題として認識させるような工夫が施されていないからではないでしょうか。海面の上昇や干ばつやマラリアといった問題は高校生にはリアルな問題として認識されないことでしょう。実際、こういった問題を説明したすぐ後の事例で登場するのはモルディブやツバルといった低い標高の国々です。

環境問題は日本の教科書を見る限りでは地球の問題あるいは世界の問題ではあっても自分たちの問題とは映っていないように思われます。この点についてはグローバル化と通じるものがありますね。われわれは知らないうちに世界のどこかと深く関わっています。しかしその世界とのつながりをリアルなものとして認識しているとは限らない。世界とつながっているという事実を理解しているものの、そこには実感を伴うことがない。言い換えれば、環境問題はグローバルな出来事であり、世界がどこかでつながっている程度の認識しか得られないものなのかもしれません。

熱帯林の破壊についての記述においても、生物多様性プランテーションといったキーワードと絡めて記されているのはアマゾン川流域に広がる熱帯林や、スマトラ島のオランウータンなど多種多様な動植物が生息する熱帯林についてです。

国内ではなく国外の問題としての環境問題の特徴を顕著に表したのが人口問題についてですね。発展途上国の人口問題は環境問題とは無縁ではありません。それは食糧問題とも関わるからです。そして食糧不足の原因の1つとなっているのが気象変動を含む環境問題だからなのです。例えばインドの人口はいずれ中国を上回ると言われてますが、品種改良や灌漑・肥料の普及によって、食料生産は増大しているけれども、人口増加を抑えなければ、食料の自給や生活水準の向上は期待できないとされています。

しかし同じ人口問題を抱えるデンマークでは事情が異なります。少子高齢化で老人ホームや介護施設の整備、そして育児休業や保育施設の完備、それらのための税収入をどのようにまかなうかなど、社会福祉の問題として人口問題が取り上げられているのです。そのため、デンマークの人口問題からは環境問題の当事者という印象はうかがえないのです。

これは都市問題についても同じです。標高の高いメキシコシティは大量の人口を抱え、そこには大気汚染を原因とするスモッグという問題があります。人口爆発によって住宅不足という問題もあります。スラムの劣悪な居住環境は人口問題と環境問題の大きな関連性を示すものです。

これに対してロンドンの都市問題には環境問題という危機感が見受けられません。市街地が拡大したことによって空洞化したインナーシティの問題が深刻に描写されていますが、そこが抱える問題は環境問題というよりはむしろ高齢者と低所得者層を悩ませる貧困、失業、犯罪、暴動、移民といった社会問題としての認識が濃いようです。

環境問題の当事者はどうしても発展途上国に偏って解釈される傾向にあります。それは発展途上国が多くの自然環境を抱えていることとも関連しているのでしょう。環境問題の当事者としての発展途上国と、環境保全のために知恵を絞る先進国という図式が如実に表れているのが、内容の理解を助けるために教科書欄外に設けられた写真の数々です。「現代社会」教科書でもそうでしたが「地理」教科書にもその傾向がうかがえます。

アマゾンの熱帯林破壊の進行やプランテーションにするために伐採されたスマトラ島の熱帯林といった具合に、視覚的に環境問題を訴える手法はインパクトがありますが、海水で冠水したツバルの広場の写真のすぐ下に自転車専用道路を利用するオランダの人々の写真が掲載されているのはきわめて対照的です。環境問題の渦中にある人々には環境保全を考える余裕はないということなのでしょうか。そして日本も環境問題の当事者というよりもどこか遠くの問題として環境問題をとらえている印象を受けます。環境に関する体系的な知識は獲得できるように設計されているものの、「環境の保全に寄与する態度を養う」という学校教育法の理念は十分に達成されていないのではないでしょうか。

環境問題の事例として日本が取り上げられることはありません。環境問題はあくまでも「世界の問題」であって「日本の問題ではない」というメッセージが読み取れます。しかしそんな日本も大きな問題を抱えています。それが自然環境の問題です。日本の「地理」教科書で日本についての具体的記述に富んでいるのは環境問題ではなくむしろ自然環境の問題です。環境問題の章とは切り離された章において日本の自然環境と災害が地理的問題として紹介されているのです。
 

 

『高等学校 新地理A』平成29年、帝国書院