可能性ゼロの世界

最近は「死刑」を覚悟で人を殺すケースが多いですね。相模原事件にしても京都アニメ事件にしても、容疑者または被告は「死刑」を怖れていないようですよね。そんな人たちを「死刑」で罰することに意味があるのでしょうか。無いですよね。そろそろ日本も「終身刑」を導入すべき時なのではないでしょうか。

ところで「無期懲役」と「終身刑」は異なります。「無期懲役」は懲役期限を設けないという意味で「無期」です。だいたい20年くらいの設定で、お行儀良くしてたら少しずつ刑期が短縮されて15年くらいで仮釈放です。「無期懲役」には出所できるという「希望」が残されています。

それに対して「終身刑」は生涯刑務所暮らしで、出所できるという「希望」はまったくありません。「無期懲役」と「終身刑」の違いはそこです。「希望」が「ある」か「ない」か、その違いです。よくアメリカとかで懲役300年とかってありますよね。あれって一応は意味があるんですよね。お行儀良くしてたら少しずつ刑期が短縮されて250年、200年、150年.....という具体に最終的には15年くらいになる可能性が数字のうえでは有り得るからです。

終身刑」にすると「希望」がなくなるから、自暴自棄になる可能性があって、刑務官の負担が大変だからでしょうか。かと言って変に「希望」を与えてしまう「無期懲役」や「懲役50年」とかだと刑期短縮されて出所が早まってしまいます。そこまで寛容になれない犯罪者に対しては「終身刑」よりも「懲役300年」くらいが良いのかもしれませんね。出所可能性ゼロの「終身刑」よりも、数字上の可能性がゼロではない「懲役300年」の方が受刑者に「希望」を与えられるということでしょうか。

実は「死刑」よりも「終身刑」の方が厳しいらしいです。イタリアの終身刑受刑者だったと思いますが、「希望もなく生きているのは辛いから死刑にしてくれ」と嘆願書を出したと聞きます。相模原事件や京都アニメ事件の容疑者または被告に対して「極刑を望む」という声を聞きますが、本当の極刑は「死刑」ではなく「終身刑」なのではないでしょうか。「死刑」を希望する受刑者に対して「死をもって償え」と言うのは限界なのではないでしょうか。「償う」という行為は行為である以上は生きていなければ達成できないものであります。

加えて、冤罪可能性がゼロでない限り、再審余地を残した終身刑が望まれるのだと思います。みなさんはどのように考えますか。