単一民族国家じゃなかったの?

単一民族」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。日本はずっと「単一民族」の国家であるとされてきました。でもよく考えるとアイヌ民族もいるし琉球民族もいるし、在日朝鮮人の方々もいるし、いろいろな外国出身の方々がいるわけで。で、実は「単一民族国家」というのは神話だったのではないかという議論がなされるようになって、そもそも「単一民族国家」という発想は創られた幻想であるということで落ち着いた感じです。しかしどうも「単一民族国家」ではないという実感がないようです。「単一民族国家」ではないとしたら、日本は「多民族国家」なのでしょうか。

世の中を見渡すと、「世論」というのは日本では簡単に形成されやすいように思えてなりません。「世論」という概念を思いついたのは欧米人ですが、なんとなくうなずけるような気がします。見えないものを見ようと意識的になることが発見につながる。いつも見ているものに対してはあまりに当たり前になりすぎて発見につながらない。欧米の文化人類学者がもっと早く日本という未開文化に接していたならば、きっともっと早く「世論」という概念に辿り着いたのかもしれない。

「世論」の形成が困難でないという意味において、日本は実は「単一民族国家」なのかもしれない。どういう意味で「単一民族国家」という言葉を用いたり「多文化」という言葉を用いるかという点に留意できるかどうかが決め手なのかなと思います。

単一民族国家の神話がいつから日本に定着したかという議論は他の方に任せるとして、仮に日本が多民族国家ではないとしても単一民族国家と言えるのでしょうか。民族構成の実態として云々ではなく、わたしたちが「単一民族である」という感覚的なリアリティを確たるものと理解しているという点において、実は日本は単一民族国家なのかもしれません。わたしたちの多くが日本が多民族国家であるということに、あるいは単一民族国家ではないということに、リアリティを感じるか否か。そこが重要なのかもしれません。わたしたちの感覚的なリアリティを無視した客観的な民族構成を掘り下げる意味がどれほどのものなのか、わたしたち自身が自らの感覚的なリアリティを発信しなければならないのかもしれません。