「芸」と「術」と「道」の交錯

アメリカの大学に籍を置いていた頃、「martial arts」という科目があったのに驚きました。「武芸」と「武術」と訳されますが、もう1つ大切な訳語があります。「武道」です。話を分かりやすくするために「武術」と「武道」の違いから始めましょう。以下。

まず、「武術」と「武道」の違いは何か。武道は武術から進展しましたが、本来は武術というのは「仕事」を意味し、「娯楽」を意味するスポーツとは大きく異なります。スポーツの語源はラテン語の「娯楽」です。その後、武術は武道へと変容します。職業的要素がなくなるんです。武道からは仕事色が薄れて「人間形成」に方向転換しましたが、スポーツは娯楽的要素に加え「勝ち負け」の要素が加わりました。対する武道は道徳的な規範を示すという部分に重きを置いています。分かりやすく説明すると、勝ち負けが重視されるかどうかが武道とスポーツの違いだと思います。

外国では礼を重んじる武道精神に重きが置かれています。ボクがアメリカで見たのはスポーツとしてのマーシャルアーツでしたが、ヨーロッパでは武道としてのマーシャルアーツに人気が集まっているという話を聞きました。剣道の何が良いかという質問に対して、彼らの多くが「美しさ」を挙げてます。勝っても喜ば ずに残心という一種の緊張感の余韻のようなものなのですが、その余韻を残しているあたりが、スポーツ化しないで武道精神を重視している証なのかなと感じます。負けた者へのリスペクトというか、そのような精神を美しいと表現しているのだと思いますけど。

近年、剣道は、柔道ほどではありませんが、大会などがあることから明らかなように、勝負にこだわる部分もあります。まったく勝負が無いわけでは無いという意味で100%武道というわけではないので、スポーツ化という表現をしていいのかなと思います。ちなみに柔道は武道ではありません。あれは100%スポーツです。武士がガッツポーズをとらなかったことからも想像できることでしょう。

結果が求められるという意味では主たる目的と従たる目的が逆転している側面もあります。本来は心技体でいうところの「心」が「主たる目的」で、技と体は「心」を達成するための手段です。勝ち負けというのは本来は従たる目的なんです。

まとめると、武術から職業色がなくなって精神論が加わったのが武道で、武道から精神論が薄れて勝ち負けが重視されるようになったのがスポーツです。以上、武術と武道とスポーツの違いでした。では「武術」と「武芸」の違いは何かというと、全く同じものだという意見が多数派なので、それでいいのかなと思います。歴史的には武芸が武術に変容したということですし。ただ、現代的な文脈においては「武芸」という言葉はナンセンスです。「芸」ではなく「術」に傾いた方が健全だと思います。手術と手芸は異なりますからね。「技術」と「芸術」の交錯する部分ついて、羽生結弦がいいことを言ってます。

「『芸術』というのは明らかに正しい技術。徹底された基礎によって裏付けされた表現力であって、それが足りないと『芸術』にはならないと僕は思っています」

さらに補足すると、武道は決して日本固有の閉じた体系ではなく、西洋の騎士道とも通底する部分があります。新渡戸稲造の『武士道』は、騎士道とは似て非なるものであるとは言え、武士道の中に西洋の道徳観を見出したものです。その意味で、武道の意義を探る可能性は諸外国のスポーツ事情とも何らかの関連性を持っていると考えられるのではないでしょうか。