中国の高校教科書にみられる環境問題

以下は、中国の高校で使われている『地理』の教科書から、環境問題に関わる部分を抜き出し、検討したものである。『地理』はすべての学年で必修であり、1年生用、2年生用、3年生用の教科書があり、5〜6つの章がある。そのうちの一部が環境問題に関係したものとなっている。

後で取り上げる日本の教科書での環境問題の扱い方に違いがあることがわかる。数々の環境問題を抱える当事者であることから、他人事ではなく自分たちの問題として扱っているのが特徴であろう。それは決して豊富な知識に彩られたものではないが、読む側に訴えかける熱意が感じられるものとなっている。地球の問題としての環境問題ではなく、自国の問題として環境問題を論じることにも徹底している。

ここではその特徴を➀環境問題当事者、②当事者意識、③先進国との関係、④具体的課題、という4つの点に絞って検証していきたい。

まず➀環境問題当事者に関して。比較的多くの国、特に先進国の多くが環境問題を地球規模の問題として考えている。それは地球全体の問題ではあるが、自分たちの日常生活に支障はないものと考える。しかし中国は広い国土であることと、実際に環境を汚染している当事者として、この点の記述が多い。例えば以下の記述である。

世界の気温が上昇したという場合、それはあくまでも地球全体の平均的状況を指すものであり、イメージするのが困難なものである。例えば、中国の北方地方の気温の上昇は比較的明確であるが、一部の地方においては気温上昇はそれほど明確ではなく、むしろ下降しているケースもある。
                                  1年生用:第2章第4節、気候変動に関する部分(p.46)

日本と異なり中国は領土が広範囲に及ぶため、寒暖差も激しく、気候問題の影響の度合いもさまざまである。当然にして環境問題のとらえ方や取り組み方も一様ではない。そのあたり、日本における環境教育の想像を超えるような現実が数多く見受けられるのが中国の環境教育の実態だろう。

さらには、

地域によって異なる環境問題、すなわち環境問題の表現の形に地域差がある。
                       2年生用:第6章第1節、人間と環境に関する部分(p.94下段)

想像に難くないとは言え、地域間格差が環境問題にも明瞭なかたちで現れている点が特徴的であろう。何よりも、そのことに対しての自覚が明確に提示されており、環境教育に関しての言論にはそれほどの規制は見受けられない。言い換えると、それくらいに深刻な問題であることと、それに対する取り組みに真摯に向き合っていることの証なのかもしれない。地域差の問題もあるが、経済開発に自ら従事することが環境汚染に拍車をかけたのも事実である。

地域間格差というのはキーワードとなるのかもしれない。なぜなら地球全体を遠くから眺めると緑で美しいのに対して、近づけば段々と環境がどれだけ汚染されているかを視覚認識できるからだ。地球全体の問題ではあるが、地球上至る所が汚染されているわけではない。きれいな場所と汚い場所がある。そしてその地域間格差がそのまま中国国内にも当てはまる。

気温の上昇は干ばつの深刻化に伴い.....水不足.....農作物の減産.....低緯度の地域は農産物の生産が減少し、高緯度の地域は農産物の生産が増えるだろうと予測.....低緯度の地域に位置する開発途上国も少なくない.....発展途上国が直面する問題をさらに深刻.....。
                                 1年生用:第2章第4節、気候変動に関する部分(p.48)

低緯度地域は農産物生産が減少し、高緯度地域は農産物生産が増加という指摘があるが、これは地球全体の問題であるものの、国内での緯度の差が大きい中国では、このような地球全体の問題が凝縮されたかたちで国内の問題としてとらえられていることが分かる。

次に、②当事者意識に関して。環境問題が「地球の問題」ではなく「中国の問題」であると認める記述を詳細に記述した部分もある。

 砂漠化は、単に砂漠が広がる過程ではなく、いくつかのブロックが散らばっていた土地が退化し、究極的にはつながって砂漠のような景観を形成する。気候変動などの自然的な要因がこのプロセスの発展の条件を作り出し、人間の活動はこのプロセスの発展を加速させた。事実、砂漠化の発生、開発過程で、人間の活動はしばしば決定的な役割を果たす。西北地方の現代の砂漠化した土地のうち、90%以上が人為的な要因によるものだという調査結果が出た。
 砂漠化をつくる人為的原因は、人口急増による生態環境への圧力である一方で、人間の活動の不当さ、土地資源や水資源の過度な使用と不合理な利用によるものである。西北地方の砂漠化の人為的な要因は主に以下の幾つかの点に表れている。
 乾燥地帯では土地の植物は限られた収穫をし、エネルギーが乏しい地域ではいまだに木こりが天然植物を採取することを燃料問題解決の主な手段にしている。一部の農民は収入を増やすために、無計画に薬草やその日の食料を採取している。採掘という営みは草の皮をすくい、土の層をひっくり返し、草場をひどく破壊した。
 短期的な経済的利益を求めて、牧畜民はできるだけ多く家畜を放牧する。そして牧草の生長能力と土壌構造が破壊され、土地が砂化され、草場が家畜を減らし、新たな一連の超常放牧が形成され、草地の退化と砂化が加速する。/(中略)/
 荒れ地では作物の成長は水源に頼って灌漑しなければならない。オアシスの人口と農地の規模は、水源の数によって決まる。しかし、人口問題のために無理やり規模を拡大したため、生態用水が足りず、植物が退化し、オアシスが砂漠化している。
                                3年生用:第2章第1節、砂漠化に関する部分(p.16-19)

砂漠化は日本にはない環境問題だろう。しかし中国には気候帯が複数存在するので、地球問題としてではなく国内問題として環境問題に向き合わなければならないと言える。ただし砂漠問題は都市住民にとっては当事者感覚に乏しい。国内問題ではあるものの、どこか遠い世界の問題のように映ることもあろう。実感するのが困難な問題を国内問題として向き合わなければならないという難しさもあるだろう。ただし、地方出身の都市在住者にとっては、遠い地方の問題ではあっても身近な問題として感じる人たちもいる。「木こり」の描写も含め、砂漠問題にはかなりのスペースが割かれている。

こういった国内の問題として環境問題をとらえることは、中国人にとっては特別の想像力を必要としない。それだけではなく、それをもっと身近に感じるような描写が中国の教科書には提供されている。

 都市工業廃水、生活汚水は都市の水源の汚染をもたらす。大量の都市汚染水が不適切に川や湖や海に排水され、江と地下水の水質を悪化させ、特に飲料水の水質が低下して、人体の健康と動植物の繁殖に直接被害を及ぼす。
 騒音は主に交通輸送、工業生産、建築施設及び社会活動から発生する。騒音が休息、仕事そして会話を妨げ、健康を害することもある。
                               2年生用:第6章第1節、人間と環境に関する部分(p.90)

遠く離れたグローバルな問題ではなく、比較的ローカルな問題として自分たちが直面しているからだろうが、環境問題が自分たちに与える影響がどれだけ深刻であるかに関して、かなり生々しい描写が提示されているように思われる。われわれ自身の問題として、この問題がどう自分に降りかかってくるかを具体的に提示している点に、中国の深刻な環境問題が見受けられる。騒音がどれだけ人々の憩いや仕事や会話の妨げになるかを具体的に想起させるように工夫が施されている。

次に、③先進国との関係について検討してみたい。第2章で述べたように、環境問題に関しては、中国を含む発展途上国と先進国の関係は無視できないものだ。

環境問題の発生は、一方的に経済成長を追求する発展モデルと密接に関係している。最大の経済効果を追求するため、人々は認識していないか、あるいは環境が自分たちに対して持つ価値を認めないで、勝手に大量の汚染物を環境に排出して、その結果、大気の濁り、河川の汚れ、ゴミの城となる。どの国であれ、経済力が上がるには、一歩一歩と長い道のりを経なければならない。先進国の産業化が歩んだ「先に汚染し、後に治める」道の教訓は痛ましい。このような経済成長は資源の長期的な価値を考慮することもなく、汚染が社会全体にもたらす実際の代価を十分に考慮していない。
                       2年生用:第6章第1節、人間と環境に関する部分(p.94上段)

ときとして環境への優しさを訴える態度は、発展を成就した先進国側から途上国側への押しつけのように指摘されることがあるが、そのような認識は途上国側にもあるようだ。しかしその一方で、世界有数の経済成長を成し遂げた中国ではあるものの、「先進国の産業化」とは異なる道を歩む態度が明確に現れているように思われる。加えて、ここでの記述は例えば「痛ましい」という表現にあるように、客観的評価を超えた価値的評価がみられるのが特徴的だ。

先進国との関連で言えば、環境保護を訴える先進国と、経済開発を志す発展途上国との違い、すなわち環境と開発の対立を示しているのが発展途上国側の教育現場の実情だ。

先進国は世界の大多数の資源を消費しただけでなく、世界の環境にも深刻な影響を与えた。例えば、人口が世界人口の24%程度を占めている先進国は、世界エネルギーの75%を消費し、汚染物質の排出量も世界の75%を占めている。発展途上国は一般的に経済発展の初期段階にあるが、人口の増加は非常に速く、環境は発展と人口の二重の圧力を受けている。また、先進国は一部の発展途上国の経済発展への必要性を利用して、汚染の深刻な工業を発展途上国に移転させることは、現在の発展途上国の環境問題をさらに深刻化させる。
                       2年生用:第6章第1節、人間と環境に関する部分(p.95上段)

日本をはじめ、かつての先進国が中国に対して行ってきた工場移転の問題に対する記述である。環境問題の背後にある政治経済システムへの言及によって、環境教育を広い視野でとらえようとしているように思われる。そしてさらには具体的に先進国の代表として日本を環境問題の当事者としてしている。

1950年代から日本では一連の環境汚染が発生し、長期にわたり被害を与えてきた。これらの環境汚染は重化学工業の環境汚染が深刻に爆発した結果である。日本は重化学工業を海外へ、すなわち環境汚染を海外へ移転させる。日本国内では、環境汚染の状況が改善され、情報産業とハイテク産業の発展のために、より良い環境条件を整えた。
                                    3年生用:第5章第2節、産業移転に関する部分(p.92)

産業移転とその影響に関しての事例としては日本に触れることが多いが、事実としての言及以上の政治的な意味があるとは特に思われない。むしろ産業移転を受け入れる側が考慮しなければならない点として言及されている。この点については、産業移転をする側になることとなった中国が日本から学ぶことは多いだろう。最近では東南アジアのみならずアフリカ諸国での開発に積極的な中国がどのようにしてこれまでの先進国とは異なる道を歩もうとしているのかが審判されることになるだろう。

最後に、④具体的課題に関して。環境問題を事実として整理するだけではなく、その解決策に関しても記述しているのが特徴的だ。

合理的な都市化は環境を改善することができ.....しかし、あまりにも速い都市化は都市の環境の質を低下させ.....。
                                      2年生用:第2章第3節、都市化に関する部分(p.39)

都市の合理化という考えは、われわれが想像するほど困難な試みではないようだ。例えばニューヨークは比較的環境に優しいというデータがある。その根拠はこの大都市の極端な密集性にある。人口密度の高い都市では環境汚染への意識が地方都市よりも高いために、市民が自ら環境に優しい行動に出る傾向にあるというものだ。車を運転するのではなく地下鉄に乗り、広大な庭の付いた豪邸に住むのではなくアパートメントに住むことによって、消費する電力は地方住民の半分に抑えられるという。しかしこういった合理的な都市化には計画性が必要なのかもしれない。それを認識できているような内容である。このように国や自治体といったマクロな視点からの解決策に触れている。

さらには、そのような解決策はマクロな立場としてだけでなくミクロな立場にも及んでいる。人々が日常生活において何ができるか、何をすべきかに関しての記述は、国家的なプロジェクトとして環境問題に取り組もうとしていることを意味する。気候変動への対応として次のような提言をしている(1年生用:第2章第4節、気候変動に関する部分(p.50))。

  • クリーンエネルギーを多く使いましょう
  • 無駄を省き、都市化が地理的環境に与える影響を考え、物の排出を減らし、公共交通機関できるだけ利用する
  • 木や草を植える
  • 森林災害を防止する                                   

中国では環境問題に対する具体的な活動が活発しているように思われる。環境教育は理論的な検討よりもむしろ実践的な啓蒙が重視されているように見受けられる。メディアをとおして直面する環境問題の実態を知る以前に、目の前の問題として深刻な現実が存在しているゆえの具体的な取り組みへのアプローチなのかもしれない。

生態系都市の建設と発展の目標を提出.....緑の交通を発展.....都市の景観はなるべく山、川、湖、海、植生などの自然的景観と調和.....。
                       2年生用:第6章第1節、人間と環境に関する部分(p.95下段)

都市景観を周囲の自然環境にいかに溶け込ませるかということを、かなりストレートに表現しているように思われる。漠然と「調和」や「共生」や「持続可能性」と述べるよりも具体的に「山、川、湖.....と調和」と提言することによって聞き手や読み手に逃げ道を与えないような工夫が施されているようだ。言い換えると、それくらいに環境問題が危機的状況にあるということを認識していることなのかもしれない。「都市景観と自然的景観の調和」という記述は、「開発と環境の調和」、すなわちそれは「持続可能な開発」を表しているようにも解釈されよう。