駅弁と旅情

「駅弁する」ということについて直前の記事で述べさせていただきましたが、その骨子は、駅弁を食べる行為をも含めたものとして「駅弁」と解する、というものでした。これについては様々な反論があることでしょう。例えば、列車内で食べることに意味を見出すことと駅弁そのものは全く別のものであるという反論です。仮に列車内で食べることに「旅情」を見出すとして、そのことと駅弁が何であるかは別の議論であるという主張です。そのように反論する人たちはおそらく「旅情」は「駅弁」とは別ベクトルで強い意味を持つ行為であるがゆえに切り離して考えているのかもしれません。それはおそらくボクの「駅弁」の定義には「旅情」の2文字が含まれないと解釈されるからだと思われます。

しかしながら、ボクは自分が提示した「駅弁」の定義の1つに「移動中の鉄道客車内において外の風景を見ながら当該弁当を味わう行為」を挙げていることからも明らかなように、「駅弁」の定義には「旅情」が含まれるものと解釈しています。

ボクの「駅弁」の定義の1つに「旅情」が含まれることについては、当該定義の中にありました「移動中の鉄道客車内において外の風景を見ながら当該弁当を味わう行為」のうちの「外の風景を見ながら.....味わう行為」の中に当然に「旅情」が含まれると解すのが自然であるということと、その後に記した「客車内において様々な思いを馳ながら食べる移動者のために駅弁を作る人がいて.....」のうちの「様々な思いを馳ながら食べる」行為の中に当然に「旅情」が含まれると解するのが自然であるということ、以上の2点によって当然に導かれるものと理解できることでしょう。

ボクの解釈によると「駅弁」には「移動中の鉄道客車内において外の風景を見ながら当該弁当を味わう行為」すなわち「旅情」が含まれるがゆえに、例えば「100余年を誇る歴史ある駅弁」として知られる大船駅の鰺の押し寿司にまつわる様々なエピソードの事例として意気揚々と語られる「①大船駅で鯵の押し寿司を購入して列車に乗り込む」、「②長旅もしくは通勤通学の後に最後に大船駅で鰺の押し寿司を土産として購入して帰宅する」、「③来客として訪れた先で出された鯵の押し寿司を食べる」、といった事例のうち、ボクの定義するところの基準を満たす「駅弁」は唯一「①大船で鯵の押し寿司を購入して列車に乗り込む」際に皆さんがその「移動中の鉄道客車内において外の風景を見ながら当該弁当を味わう」場合のみに限られることになります。

皆さんがもし当該押し寿司を旅先の宿泊先であるビジネスホテルの一室といった「しみったれた雰囲気」の中で食べられるのであるならば、ボクの定義にしたがうならば、当該押し寿司は皆さんのご期待むなしく「駅弁」ではなく、単なる「押し寿司」であると解釈されます。同様に、土産として自宅に持ち帰った鰺の押し寿司も「駅弁」ではなく、単なる「押し寿司」であると解釈されます。百歩譲って、旅は帰宅の途につくとともに始まってから実際に帰宅するまでの時間的および空間的な全ての行程を意味するのみならず、帰宅してしばらく旅の余韻に浸ることも含めると解釈するにしても、当該自宅に持ち帰った鰺の押し寿司はボクの解釈によるならば「駅弁」ではなく、駅弁の「追憶」なのであります。よって、「来客として訪れた先で出された鯵の押し寿司」などは「追憶」の面影もないので、ボクの解釈によるならば説明するまでもなく「駅弁」ではなく、単なる「鰺の押し寿司」なのであります。

ここで勘違いされては困るのですが、ボクは決して皆さんが「100余年を誇る歴史ある駅弁」と意気揚々と語られる「鯵の押し寿司」と色々な形で接してこられた事実をバカにしているのではありません。ただ、それら日常の一コマに浸透すると思われる「鰺の押し寿司」を、ボクの解釈によるならば、何の根拠も批判精神も持たずして、物理的な意味において「駅弁」であるというただそれだけの理由をもってとにかく「駅弁である」と主張される人たちの態度を「横暴」であると多少の揶揄をもって対峙しているだけのことであります。

それでは、皆さんが「駅弁」だと熱弁されるであろう「鰺の押し寿司」のうち、ボクが解釈するところの「駅弁」の基準を満たさない「鰺の押し寿司」とはいったい何なのでありましょうか。誤解と憤慨を怖れずに述べさせていただくならば、それは、ボクが解釈するところの「駅弁」の基準に則して言わせていただくところの「バーチャル駅弁」あるいは「駅弁のつもり」なのであります。それは一種の「錯覚」であり「幻聴」であり「迷い」であり、分かりやすく述べるならば「都合の良い知覚現象」なのであります。

もし仮に「旅情」というものを重ね合わせながら「駅弁」と向き合っているのだという主張を皆さんが申し立てるのであれば、厳密に言うならば、それは「旅情」ではなく「追憶」もしくは「回想」または「幻想」なのであります。鉄道オタクの方々がもし「大船の鰺の押し寿司」や「横川の峠の釜飯」や「宮島口のあなご飯」を「旅の途上」という文脈から切り離された状況において「旅情」だと勘違いされた感情とともに堪能しているのであれば、それはただの「バーチャル駅弁」なのであります。そして、そのような「旅情」すらをも脳裏にかすめることなく「大船の鰺の押し寿司」や「横川の峠の釜飯」や「宮島口のあなご飯」等を堪能する人たちにとっては、当該弁当は「バーチャル駅弁」ですらなく、ただの「お弁当」なのであります。

もはや「駅弁」の域を脱して全国区スタンダードの位置に上り詰めた「崎陽軒シウマイ弁当」を今日の晩ご飯として「駅弁」という認識のもとで購入されるお客様がいらっしゃったら、是非ともボクの方にご一報よろしくお願いします。「崎陽軒シウマイ弁当」はいまや単なる「お弁当」であり、当該弁当を「駅弁」という認識のもとでバーチャル旅の「追憶」を体感する人はあまりいらっしゃらないと思われます。もちろん「崎陽軒シウマイ弁当」を車中において食する場合は「駅弁」の基準を満たしているものと解釈されることは言うまでもありません。以上、「バーチャル駅弁」と単なる「お弁当」の峻別ご理解いただけたでしょうか。ご理解いただけたことを確認した上で次に移らせていただきます。

ボクの主張に反論する人たちの多くは「旅情」は「駅弁」とは別ベクトルで強い意味を持つ行為であるがゆえに切り離して考えようとします。言い換えれば、「駅弁」と「旅情」を切り離すことによって「駅弁」から「旅情」の要素を引き裂こうとされています。そして「駅弁」とは切り離された「旅情」を想起させる事例として「①駅構内のコンビニで購入したおにぎり」、「②駅近くの果物屋で購入したミカン」、「③恋人の手作り弁当」、「④車窓からの風景に酔いしれながら口にするコージーコーナーのシュークリーム」などは、それが列車内において食されることに関して微塵も「旅情」を感じないとたとえ大多数の人々が断定したとしても、当の本人がそれらを「旅情」を伴いながら食される限りにおいて「旅情」を感受しているという点については否定の余地は全くありません。ただ、それらが「駅弁」ではないというだけのことです。

ボクは「駅弁」に「旅情」の要素が含まれることをすでに説明しましたが、それは「駅弁」なき「旅情」が存在しないという主張をしているのではないことを、まずはご確認ください。言い換えるならば、「旅情」は「駅弁」のための必要条件ではありますが、「駅弁」は「旅情」のための十分条件ではあっても必要条件ではないということです。ですから「恋人の手作り弁当」も、それが恋人が使ったものであろうがクレオパトラが作ったものであろうが、当の本人が「旅情」を感じると言うのであれば、当該本人が「旅情」というものを高尚な定義のもとでとらえようと低俗な定義のもとでとらえようと、当該本人がそのように感じるのであれば、結果的に当該経験は当該本人にとっては有意義な「旅情」であることを否定するつもりも毛頭ございません。

「駅弁」を象徴的に「旅情」と関連づけるボクの主張および「駅弁を支えているのは移動者であって地元民ではありません」というボクの主張に対して、駅は旅人にとっての中継地点にであると同時に、その駅を最寄りとする人にとっては出発地でもあり終着地でもあるという反論もあることでしょう。その通りです。しかしこのような反論にムキになる人たちは駅弁が旅行者の手に取ってもらうために地元がキャンペーンで盛り上がる点を指摘するあまり、ボクが定義するところの「駅弁」が絶滅してもなおそれを「駅弁」であると主張されるであろう醜いお姿は、あたかも鎌倉武将を模した市民が世界遺産登録に向けて「古き良き鎌倉」を保存することを提唱する哀れなお姿と重ね合わせることができるのであります。

加えて、「旅情」を含む鉄道移動の全ての「情緒」を排した「駅弁」を何の批判精神もなくただただ「かつて駅弁であった」というただそれだけの理由で「駅弁である」という主張をオウムのように繰り返す姿は、潔さを微塵とも感じさせない哀れなものとボクの目には映るのであります。さらには、「地元民は駅弁を通して地域アイデンティティを得てゆく」という半ば情緒的な感情論は、「駅弁」が「旅情」を伴うものであるか否かについての問題とはまるで関係ない脚注レベルの補足的主張であると思われます。「バーチャル駅弁」によって地元アイデンティティを確立するという主張は、仮にeスポーツのサッカーで地元アイデンティティを盛り上げようとするサッカー王国静岡県の試みなるものがあったとするならば、それに肩を並べるレベルの幼稚な地域社会振興に思えてなりません。

繰り返しますが、「駅弁」は移動者を抜きにしては成立しないものと思われます。移動者とともにその歴史を築いてきた駅弁ですが、その本来の意味での「駅弁」の姿が少しずつわたしたちの記憶から遠ざかろうとしています。そのことに対する悲しさから「駅弁の絶滅」を嘆く人たちのおそらく言いたかったことであろうことをボクが今回は代弁させていただきました。