シンガポールの「文化」

シンガポールは父の仕事の手伝いで初めて行って以来何度か訪れたことがあるのですが、いまだによくわからない国です。岩崎育夫著『物語シンガポールの歴史』を読んで腑に落ちた点があるので幾つか。

シンガポールの歴史を見ていると、何か違和感を感じざるを得ないです。この本の中でも触れていたのでが、普通は人々が集まって、そこに文化が形作られて、それが国家という形に進化する。でもシンガポールはまず国家を先に形成することに必死だった。だから筆者も指摘するように「シンガポール人」はいても「シンガポール文化」というものがないのだそうです。独立国家を建設するという目的がはっきりしていたので、その目的を達成するために手段を選ばなかったという印象を与えます。

多くの人種、民族、宗教、言語が存在するにもかかわらず、まず全体を独立国家形成のために強制的に統一することを重視するという点で、アメリカ合衆国の歴史を見ているようでした。アメリカは歴史が浅いと言われます。ヨーロッパのような長い歴史的な流れの中で国家が形成されたのではなく、独立のために国家を建設するという目的が明確でした。文化ではなく国家を優先するという点でアメリカとシンガポールはよく似ていると思いました。

この本を読んでいると、シンガポールの歴史の中に「人間らしさ」を感じ取ることができないのです。計画的にいろいろなことを決めて、法律も厳しいという話を聞きますよね。トイレの水を流さなかったり、ガムを噛んだりすることに対しても罰金や罰則がきちんと決められているし。完璧な国家を形成するために今はまだ試行錯誤している段階だからなのかもしれないけど。もしかすると、まだシンガポールという国を評価するには時期が早いのかもしれません。例えば歴史の浅いアメリカですが、一応はアメリカ文化というものがそこにはあります。多民族の中で作られたものなのでしょう。同じように多民族国家であるシンガポールも、これまでは国家建設に必死だったけれど、これから次第に文化が形作られるのかもしれません。

ここまで書いてきて、そもそも「文化」とは何かという疑問が頭に浮かんでしまいました。修士論文を書いている時にも取り組んだテーマなのですが。表向きは機械的で人間らしさを感じられないシンガポールですけど、実際の日常生活の中にはすでに文化と言ってもいいシンガポールらしさはあるように思うのですボクは。遠くから見ては分からないけれど、道を歩きながら近くで見れば、そこにシンガポール文化というものを発見できるかもしれないです。法律で細かいことまで決められていて、日常の生活が不便で人間臭さを感じさせない印象を与えるけれど、実際に歩いてみると、そうでもないのかもしれない。文化よりも国家を優先してきたというシンガポールを通じて再び「文化」について考える切っ掛けになりました。