異文化感覚

アメリカのジョークです。ある中年男性が、とてもキュートでセクシーな女性と知り合いになった。男性は女性を誘って宿泊するホテルの部屋へと向かった。途中、男性は「ところで、君、歳はいくつ?」と尋ねた。女性は「13よ」と答えた。男性は、それを聞くと真剣な表情になって、ポケットから20ドル札を出して渡しながら「タクシーに乗って、すぐに家に帰りたまえ」と言った。不服な女性は「私とやらないの。どうして」と詰め寄った。男性が「だって君は13歳だと言ったじゃないか」と吐き捨てるように言うと、女性はあきれ顔で「13だからやめるなんて、あんたって迷信深いのねえ」と言った。以上、アメリカンジョークでした。

男性の良識は肝心の「少女」にとってはまったく無縁で、彼女には13という数字への迷信のせいで自分が拒否されたと誤解してますが、その無頓着さが面白いのだと思います。こないだからずっと言ってる「文化」に照らして言うと、この男性と女性の間で繰り広げられているのは「異文化コミュニケーション」なんだと思います。「異文化」というのは別に欧米人とかガイジンとかそういう枠組みのみならず、同じ民族内においても同じ世代間においても当てはまるんですよね。

昔、外国人と交際していたとき、周囲は挙って「日本人相手でも難しいのにガイジン相手は大変じゃないの」と言ってました。言葉の壁のこと以上に文化の壁のことを心配してくれたのだと思います。当時のボクの回答は「日本人同士だと理解し合えるという大前提があるから理解の働きかけに甘えが生じるけど、異文化同士だと互いを理解しようと意識するから、実は日本人同士よりもうまくいく」というものでした。

ボクが異文化コミュニケーションから学んだのは、日本人相手でも異文化コミュニケーションのつもりで接すると良いということです。おそらくいろいろな年齢層の人たちと交流をもつ傾向が強いのも、どこか自分の中で異文化交流を意識しているからなのかもしれません。