グローバル化の結末?

こんな御時世だからでしょうか、「このまま人類は滅亡してしまうのでしょうか?」という質問をされることがあります。思い返せば、人類消滅とか地球滅亡というシナリオを描いた小説や映画は数多いです。フィクションならではのストーリーですが、第3次世界大戦もしくは核戦争または大規模テロとならんでウィルス感染による地球ダメージを真面目に議論する人たちもいました。パニック映画『コンテイジョン』等は今回のコロナウィルスと重なるということでリバイバルヒットしています。たくましい想像力を駆使した議論や映画のハッピーエンドとは異なり「今回はちょっと」という慎重派もいれば、これまでの日常と何ら変わらない生活を営んでいる人たちもいます。モノや人の移動だけでなく、ウィルスや情報までもが簡単に世界中に拡がります。そういう動きをグローバル化またはグローバリゼーションといいます。ただし、この概念は静的なものを意味しません。グローバルという状態が常に変動しているということで動的な概念と解釈されています。つまりわたしたちは今、グローバル化のプロセスにあるのです。ではグローバル化というシナリオの結末はどんなものなのでしょうか。

グローバリゼーションは決して新しい現象ではありません。イギリスの社会学者ローランド・ロバートソンは、その歴史を15世紀にさかのぼるとしています。ロバートソンによるとグローバリゼーションには5つの段階があるそうです。

  1. 「発生段階(15~18世紀)」
     太陽中心説の幕開け
  2. 「初期段階(1750~1870年代)」
     単一的国家が誕生
  3. 「離陸段階(1870~1920年代)」
     オリンピックやノーベル賞といったグローバル規模な競争の発展
  4. ヘゲモニーをめぐる闘争段階(1920~1960年代)」
     核爆弾や国際連合が発足
  5. 「不確実性段階(1960年代以降)」
     グローバル組織および運動ならびにメディア・システムが急増・強化
                                                  ローランド・ロバートソン『グローバリゼーション』

こうして世界が少しずつ互いに関わりを持つようになるわけですが、現代のグローバリゼーションとはどんなものなのでしょうか。例えば食料品の多様性は料理のスタイルをも変容させました。モノの流通を加速させるのに多くの移民を必要とはしません。確かにモノの流れは人の流れよりも動きが激しいです。でも、モノの流れほど加速的ではないにしても、人のグローバルな動きは世界中を異国情緒的な香りで満たしています。いろいろな人やモノにあふれ、わたしたちの日常世界は一種のミュージアムと化してしまいました。

その昔は、街ゆく人々で知らない者はいませんでした。そんな時代はすでに過ぎ去ってしまった。知らない人たちに囲まれた世界です。わたしたちはみな例外なく、見知らぬ人たちという群衆の中に生きる見知らぬ人なのです。現代社会では、わたしたちは見知らぬ人々と絶えず接触しているのです。

見知らぬ人たちの世界という考え方は、われわれが認知する世界の縮小をも意味します。見知らぬ人はもはや「あちらにいる人」ではなく「すぐそこにいる人」となる。このような世界の縮小感覚は、テクノロジーの発達によってもたらされました。

さらに画期的な移行は電子メディアの発達によって促され、コミュニケーション・ネットワークを相互依存的なものに変容させました。世界の地理的に複雑な状況が一度にテレビに映し出されます。電子メディアの発達は、異なった場所を同時に体験することを可能にしました。マス・ツーリズムやスペクタクルな場所で制作される映画などを通じて、シミュレーションや代理体験(VR等)も可能になった。異質なものとの接触、多元的な価値観の流入、複数の文化圏の交差。           

世界中の人やモノがわたしたちの日常にあふれかえり、わたしたちは擬似的な世界をいつも体験している。でも、同じ1つの地球を共有しているという感覚は頭の中では理解できても、それを真の意味で実感することはありませんでした。コロナウィルスが出現するまでは.....。カナダの批評家マーシャル・マクルーハンはメディアでつながる世界を「グローバル・ヴィレッジ(地球村)」としましたが、コロナウィルスの出現はわたしたちを真の意味での「グローバル市民」に仕立て上げようとしているのかもしれません。恐怖を介してではあるけれど、これほど世界とのつながりを感じたことは今までになかったかもしれない。

グローバリゼーションというシナリオの結末は皮肉にもグローバリゼーション自身を介してコロナウィルスに託されてしまったのでしょうか。この物語の続きがパンデミックを路線として引き継がれていくのか、それとも併走するインフォデミックによる悪戯で済むものなのか、全てが終わったときにジックリと検証されるのを待つしかありませんね。