あいまいな表現と具体的な数字のあいだ

感染防止のために他人との接触率を減少させるのに、政府が80%という数値を提示しました。この数字を耳にして何を思うかは人それぞれでしょう。すぐに何かをピンと察することのできる人もいれば、イマイチ何のことだかよく分からずポカーンとしてしまう人もいる。単純に計算すると、今まで1日100人に会ってたのを20人以内にせよということだ。あるいは1日10人に会ってたのを2人以内に抑えよということだ。

では1日10人未満しか会ってなかった場合はどうすればいいのでしょうか。そもそも、それをどうやって計算すれば良いかが分からない人もいるでしょう。以前、アルゼンチン人女性から家庭教師依頼されたことがある。算数の「割合計算」を教えて欲しいとのことでした。その女性は日本人男性と結婚して日本に住むことになり、アルゼンチンで就いていた美容師の仕事を日本でも続けていたのだが、パーマ液を調合する割合で頭が混乱してしまったようです。2対3の割合で500㎖の調合液を作るやり方が分からないのです。このような事例は例外としても、やはり計算するとなると変なところでつまづいてしまう人もいることでしょう。

例えば、今まで1日5人にしか会ってなかった場合、5✖0.8=4だから4人とは会わないようにすればいい。でも今まで1日4人にしか会ってなかった場合はどうでしょう。4✖0.8=3.2だから3.2人とは会わないようにすればいい。ということは1日1.8人とだけ会うことができるということだ。ここで大きな問題に向き合うことになります。3.2人って何?と。とりあえず3人には会える。でも4人会うことは許されない。では残り0.2はどうすればいいのでしょうか。ドラえもんガリバートンネルでも使って人を小さくすることが頭をよぎることはないでしょうか。

わたしたちは日常生活でいろいろな「数字」を目にします。確かに数字はある意味で便利な手段だ。難しい概念でも何でも数値化されるとスッキリする。降水確率がそうだ。明日の降水確率は80%ですと言われたら多くの人が理解できる。理解できるというのは、それが「傘を持っていけ」を意味しているということだ。では30%ですと言われたらどうだろう。ハムレットではないけど、傘を持つべきか持たざるべきか、それが問題だ。

他にも識字率というのがある。例えばユネスコ統計によると、パプアニューギニア識字率は60%だ。でも60%という数字を見て、いったい何が分かるというのでしょうか。せいぜい100人中60人が読み書きができ、残りの40人はそれができないということぐらいではないでしょうか。国全体の識字率は60%ですが、都市部では80%で地方部では50%、人里離れた辺鄙な村では0%というところもあります。都市部においても、富裕層が暮らす中心部では100%で、収入の半分が水道代で消える都市部郊外では60%だったりする。以前ボクが訪れたセピック川周辺の村落では、子供たちは誰ひとり読み書きができませんでした。

このように、パッと数字だけ見ても何も分からないものです。統計というのは非常に便利なもので、あいまいな状況をパッと数字で表すことによって、わたしたちに何かを分かったつもりにしてしまう。でもそれが意味するものはいったい何なのでしょうか。実際に現場で見たり、そういう話を人から聞かされたりすることによってリアルなものを目の当たりにし、数値化することには何の意味もないことを実感する。人は何かに突き動かされて行動を起こすものです。でもそれは数字ではない。

あいまいな表現をしていると「具体的に数字で表せ」と急かされることがあります。いつのまにか「あいまいな表現」の反対は「具体的な数字」になってしまいました。でも本来は「あいまいな表現」の反対は「具体的な表現」であるはずです。同様に、「あいまいな数字」の反対が「具体的な数字」となる。でもわたしたちは「あいまいな表現」から「具体的な表現」を生み出す努力を怠って「具体的な数字」へと向かってしまう。

言葉では語り尽くせないという表現を頻繁に使うことがある。実際そうだとボクも考えます。でもそれは、語り尽くそうと苦心惨憺した末に白旗を揚げる時に言えることでしょう。言葉を紡ぐ努力を何もせずに最初から「言葉で語り尽くすのは困難だ」とか「世の中には言葉で表現できないことがある」と言葉の限界をヴィトゲンシュタインのように得意満面になって言うのはいかがなものでしょう。人を恐怖に陥れるには、どんな数値化を試みるよりも、稲川淳二の怪談を聞かせる方がよほど効果的だと思われます。

接触率を80%まで減少させるには「80%です」と言ったところで高が知れている。そうではなく、もっと具体的な表現で効果的に民衆を操作しなくてはいけません。高齢者が新型コロナウィルス感染で隔離入院されることとなったら、きわめて高い確率で、もう2度と会えなくなってしまうかもしれない。隔離入院するために自宅を出る時が別れの瞬間になってしまうかもしれない。亡くなったら火葬場直行という話を聞いたときに多くの人が衝撃を受けたことでしょう。悲しい事実ではあるけど、ある意味、外出および接触回避を要請するには非常に具体的で効果的な表現法かもしれません。