環境問題は教科書でどのように位置づけられているか

環境問題について調べているうちに、いろいろなことが分かってきました。正確には、わたしたちが環境問題にどう向き合っているかの一端をここで紹介できたらと思います。環境問題に関する日本語書籍は非常に多く、書店等を見ると絵本を含む入門的な本から専門的な研究書に至るまで数多くの環境関連本を手に取ることができます。そしてメディアでも毎日のように環境問題を取り上げたものを目にすることができ、「環境にやさしい」という文句を消費者という立場で目にしないことがないくらいです。

では学校教育においては環境問題がどのように記述されているのでしょうか。2006年に教育基本法が改正された際に教育目標として「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」が追加され、2007年に学校教育法が改正された際に「学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと」と明記されるようになりました。

しかし環境教育のために「環境学」なるものが個別にカリキュラムに組まれたわけではありません。おそらく「環境学」はより専門的な知識として大学以降の教育現場において取り上げられるからなのかもしれませんが、そのための素地を築くという位置づけにあるようです。それゆえに、地理においては地形や気象および各国の詳細を述べた章に現代的問題として、歴史においては教科書後半の現代社会を扱った章に現代社会の抱える問題として、そして生物においては生態系に関する記述の一部に触れられるといった具合に、それぞれの科目の背景の一部として環境問題が述べられているにとどまります。そこで「現代社会」の教科書を取り上げてみたいと思います。

まず最初に目に入るのが会議や条約を含む重要用語が特に重要なものとして太字で記されていることです。「地球環境問題、生態系、国連人間環境会議、持続可能な開発、国連環境開発会議、アジェンダ21.....」といった具合に、たった5ページの中に33の用語が太字で明記されてます。本文に入りきらずに脚注として設けられた欄外に書かれた条約名等を含めると50は超えます。市販の現代社会用語集にはこれらの用語の詳細が記載されており、高校生は試験対策および受験対策として役立てているんですね。つまり、この教科書は試験をパスすることを相当に意識しており、環境に関する知識を学ぶためのものとしては充分に整理されたものではあるけれど、環境問題に対する体験や行動を促すようなものとはなっていないのです。

加えて、本教科書の記述は各々の環境問題の科学的なメカニズムが充実してはいるが、それを当事者として危機感を抱くようなものにはなっていません。言い換えれば科学的および客観的な記述に徹しているということでしょうが、そこには生活感を垣間見ることはできないのです。

日本における環境教育は、教育基本法改正とそれに伴う学校教育法、そしてそれらを踏まえた学習指導要領に促される形で大幅な充実に成功したとされていますが、まだまだ「環境教育」の側面においては課題が多いようです。科学的かつ客観的なメカニズムの解説はより専門的ではあるけれど、人々の行動を促すほどの説得力には欠けます。なぜなのでしょうか。おそらくそのヒントが教科書の中に隠されています。

教科書の前半「地球環境問題」と後半「資源・エネルギー問題」の間にはカラー2ページ分が提供されているのですが、そのタイトルは「世界の環境問題」と「日本の環境保全」と書かれています。世界の環境問題として、「おし寄せる砂丘モーリタニア)」、「石灰をまいて酸性雨の被害を食い止めているようす(スウェーデン)」、「酸性雨などで立ち枯れたシュバルツバルト(ドイツ)」、「伐採されるアマゾンの森(ブラジル)」、「永久凍土が融解した南極」、「アラル海の水量の変化(カザフスタンウズベキスタン)」、「大気汚染(中国)」が記載されています。一方、日本の環境保全として、「尾瀬(福島・新潟・群馬県)」、「釧路湿原(北海道)」、「藤前干潟(愛知県)」、「狭山丘陵(埼玉県)」、「天神崎(和歌山県)」の記載に加え、ラムサール条約に日本の50か所が登録されている記述や、ナショナルトラスト運動への日本の積極的な関与といった記述があります。

これを見ていると環境問題は世界の問題であり、日本はその保全に従事する側であるような印象が受けられます。

環境についての教科書記述がなぜ以上のような構成になっているかには理由があるようです。環境問題は現代社会を読み解くためのツールの一部とはなっているものの、そのあとの憲法や政治経済記述につなげるための役割を担っているに過ぎないということでしょう。あくまでも「現代社会」という科目を引き立てるための脇役という位置づけなのです。このような構成は他の出版社による「現代社会」またはその他の科目についても同様のことが言えます。環境問題についての科学的理解や詳しいメカニズムとしては充実しているものの、環境教育という視点からとらえるとその教育的効果はまだ課題が残されているようです。

 

 

参考文献