発信力 or 受信力?

先日、テレビで中国風ハンバーガーを売りにした秋葉原のお店を紹介していました。そこの日本人の店主いわく「是非とも日本の皆様にこれを知っていただきたいと思い秋葉原に出店しました。秋葉原は発信力があるので、ここに出店すれば噂がすぐに広まると思ったんです」と。最近よく耳にする「発信力」ですが、そも「発信力」って何だ。

最近は日本のアニメを中心としたポップカルチャーやラーメンを中心とした日本食が世界中でウケています。これを受けて「アニメやラーメンは発信力がある」と言う人がいます。そしてそれらに従事する人たちも世界に向けて「発信力がある」と言われることがあります。でもこれって本当でしょうか。よく一緒にされるのが「影響力がある」というフレーズです。だいたい「発信力」がある人は「影響力」があると言われます。言葉の意味を分かって使用しているのでしょうか。「発信力」がなくても「影響力」は成立すると思います。

新型コロナウィルスはあっという間に世界中に広がっています。ウィルスの影響力はすごいものです。最近は「インフルエンサー」が日本語に定着していますが「インフルエンザ」も元々は影響力という意味です。話を戻します。ウィルスの影響力はすごいものがあります。しかしわれわれは「新型コロナウィルスって発信力があるよねえ」とは言いません。影響には、影響を及ぼす側(能動)と影響を及ぼされる側(受動)があります。影響を及ぼされる側は、影響を及ぼす側の意図的な「影響力」なくして影響を受けることがあります。プレスリーは影響を与えることを意図せずにして多くの人々にその影響を及ぼしました。この場合、多くの人々がプレスリーに影響を受けたのでしょう。逆に、影響を意図的に及ぼすことを考えた場合、その影響を及ぼす側には「影響力」があると言うことは可能でしょう。同じようなことが発信力についても言えると思います。

美味しいラーメンを作るオヤジやコスプレを楽しむオタクは、別に世界に発信することを意図して各々の営みに勤しんでいるのではありません。ではなぜアニメやラーメンは世界に広まったのでしょうか。それは、アニメやラーメンを「良い」と思った人々が世界中にいたからです。コミュニケーション論の基本中の基本ですが、受け手がいてはじめて送り手の存在が成り立ちます。確かにオヤジがラーメンをこしらえなければ、そしてオタクがコスプレで舞わなければ、受け手のアクセスに及んでグローバル化することはないでしょう。しかし、それだけのことをもってオヤジやオタクが「グローバルな発信者」と位置づけることは拙速に過ぎるのではないでしょうか。

それよりもむしろコスプレやラーメンを知って自分たちの日常生活に取り入れた海外の人々の「受信力」に注目すべきではないでしょうか。ネット時代において確実に情報をゲットすることが簡単になりました。ただし、有用な情報とそうでない情報との見極めが求められているのも事実です。加えて、以前から何度も耳が腫れ上がるほどに申してることですが、アクセスが楽になった分、以前に比べて情報そのものの価値は下落してます。発信力をテーマにしたビジネス書のなんと多いことでしょうか。しかしながら、発信力の陰でその存在を蔑ろにされている受信力にもっともっと注目しなければなりません。なぜか。それは、発信力と受信力をきちんと区別するためです。

吉田潤喜という京都出身の在日韓国人がいます。彼はアメリカに渡り事業を展開しました。子供の頃から口にしていた自家製ソースを何とかアメリカ人にも食べてもらいたい。その思いが吉田を突き動かしました。吉田が販売した「ヨシダソース(Yoshida's Fine Sauces)」の人気はあっという間に全米に広がりました。ヨシダは発信力がありました。だから受信されました。

ロッキー青木という日本人が、お父様が日本国内で始めた鉄板焼きの店を、エンタテインメント性を加味した上でニューヨークを初めとして全米で店舗を展開しました。いまや当たり前のように海外で見られる日本食の定番の「鉄板焼き」は「Teppanyaki」として世界中で人気です。ロッキー青木は発信力がありました。だから受信されました。

発信力というのは、やはり知識だけではどうにもならない。そこは知恵の見せ所。発信力と受信力を、皆さんは混同していないでしょうか。日本のコメ農家の皆さんには是非とも発信力を発揮してもらいたいと思います。農家の発信力はまだまだ未開拓な領域だと思います。他力本願的に受信力に依存するのではなく、主体的にコメを発信してくれることを願ってます。