帰郷者にとっての準拠集団の変容

長旅から帰宅すると変な違和感を感じることがある。旅に出かける前には気づかなかった当たり前なことが気になったり、地元地域が以前とは異なった景色に見えたりする。ところが帰宅してしばらくするとその違和感が徐々に薄れ、以前と同じような日常に戻り、以前と同じような景色に戻ってしまう。それでもそのような違和感が去った後の日常や日常の景色はどこか少しずつではあるが変化しているような感覚になる。それと同時に、自分の中にあった価値観も少しずつ変化していることにも気づく。

人が行動する際に、その行動へと導く価値観、信念、態度などに影響を及ぼす集団をマートンは「準拠集団」として整理したが、準拠集団は具体的にはどのように変容するのだろうか。ここでは、帰郷者論を手掛かりに準拠集団の移り変わりについて論じてみたい。

マートンアメリカ兵の不満度についての調査に基づいて「準拠集団」を理論的に整理したが、ここで挙げられた準拠集団の特徴のうち最も顕著なものの1つとして、人が価値観・言動・態度などの指針とする準拠枠となるのは必ずしも所属している集団であるとは限らないという点だろう。人が直接的に関わることのない集団を「非所属集団」あるいは「外集団」という一方で、人が直接的に関わり自分の価値基盤の準拠枠とみなすような集団を「内集団」あるいは「所属集団」という(マートン、1961、213頁)。マートンによれば、「自分の属する集団以外の集団に自己を方向づける」(前掲書、257頁)こともあり、あらゆる集団が準拠枠となり得ると解釈している。さらには、このような準拠集団となりうるものは「無数にあり、人が成員として所属している何れの集団(これは比較的少ない)も、所属していない集団(これは勿論極めて多い)も、態度、評価、行動を形成する準拠点となる」(前掲書、215頁)ことを明らかにしている。

確かに、日本人であれば様々な社会的な場面での行動におよぶ際に無意識のうちに成長の過程で培った価値観に何らかの影響を受けながら意思決定をしているものだ。ファッションや音楽を含む様々な個人的な好みにもその影響が及んでいるであろうし、自分のキャリア形成にも何らかの形でそのような価値観がわれわれのとるべき道を方向づけることだろう。そのような価値観が人の拠り所となったものが準拠枠であり、準拠枠を集団形態で体現したものが準拠集団なのかもしれない。

では、それら無数の準拠集団はわれわれの前にあって常に変わることない存在であり続けるのであろうか。自分の価値観に変化がみられたときに、それまで拠り所としていた準拠集団への帰属意識が薄らいで、新たな準拠集団へと自分が移行するということも考えられるが、ここでは、準拠集団自体に変容が生じることもある点に注目してみたい。すでに述べた長旅から帰宅したときに感じる違和感という問題をアルフレッド・シュッツの「帰郷者」概念を手掛かりに考えてみたい。

シュッツは「故郷」が、そこにずっと暮らす者、そこから離れて暮らす者、そこから離れて再び帰還する者にとって、それぞれ異なった意味をもつことを指摘している(シュッツ、1991、155頁)。そこにずっと暮らし、内集団に所属する者として生きていくような者は通常は当該集団を準拠集団とする。一方、そこから離れて異郷で暮らしながら故郷を思う者は、故郷を離れながらにして遠く離れた故郷の内集団を準拠集団として異国での生活を営む。ところが、そこから離れて再び帰還する帰郷者は異なった様相を呈した「故郷」に出会うことになる。

異国の地で生活する者にとって異文化接触は緊張感をもたらす。そこでの態度はこれまで体験したことのない集団に自分を馴染ませようとするものである。そうであるがゆえに、彼らは、それまで当たり前としていた価値観とは異なった形で組織された社会には自分の思いがなかなか受容されないことを、そして、そんな世界にこれから加入しなければならないことを十分に心得ている。結果がどうあれ、全てを「予想」することを余儀なくされるのだ。その後、その社会で形成された集団が自分の準拠集団となることもあり得る。

それに対して帰郷者の態度は、それを自分の本来の姿であると心得ており(あるいは、そのつもりでいる)、それまで当たり前であったものをただ自然に受け入れれば良い、というものだ。帰郷者はただ自分の故郷に対する過去の記憶、あるいは、異郷において常に心に残していた準拠集団への強い感情を、ただ、「回想」するだけでよいはずである。

ところが、帰郷者は、「その実が甘いか苦いかはともかく、異邦性という不思議な果実を味わってしまっている。激しい望郷の念にかられている最中にあっても、帰郷の際には新しい目標やその目標を実現するための新発見の手段あるいは異郷で獲得した技能や経験などを、故郷のかつての文化の型に移入しようとする願望が残る」(前掲書、165頁)ため、単に客観的に故郷を見るということではなく、これまでとは異なった視点から故郷をとらえてしまう。そのため、現代で言えば例えば帰国子女などは、「逆カルチャー・ショック」といった問題に悩むことになる。旅立つ前の準拠集団は、旅の間もずっと自分の準拠集団であり続けたはずなのに、帰郷してみると、どこか以前とは異なった違和感を覚えるような存在となる。

シュッツは、ホメロスの『オデュッセウス』を引用し、パイアキアの船乗り達に20年ぶりに故郷に連れてこられたオデュッセウスがそこを自分の故郷ではなく新たな異郷と信じ悲嘆にくれている姿を、帰郷者の物語として伝える。

帰郷者の苦難は帰郷者だけの犠牲を伴うものではない。帰郷の際に新たな違和感に直面するのは帰郷人だけではないからだ。「彼を待ちわびる人々にとっても、帰郷者は同じようによそよそしい存在として現れる」のだ(前掲書、168頁)。オデュッセウスは帰郷した際に、周囲の者が彼の姿に気付かないように女神パラス・アテナによって霧を吹きかけられるが、この霧は、彼を待ちわびていた者にとっての彼のよそよそしさを表現したものでもあった。

ほんの数週間の旅からの帰宅でも逆カルチャーショックを受けることがある。異文化に触れることによって自文化がこれまでとは異なったように見えるからだろう。ましてや長旅や移住から帰郷した際に受ける逆カルチャーショックは特別なものかもしれない。人の移動が著しいものとなれば、準拠集団のあり方も移動の頻度によって様変わりするのではないだろうか。そしてかつての準拠集団が再び自分の準拠集団となることも考えられよう。帰郷者が目にする故郷はかつての拠り所となるものではなくなってしまっても、その後ゆっくりと時間をかけながら、かつての故郷の記憶と今自分の目の前にある風景が融合し、再びかつてのように準拠集団として自分の行動の指針となることもあり得る。おそらく準拠集団はわれわれが考える以上に流動的なものなのかもしれない。

長旅から帰宅したときに感じる違和感について、準拠集団がどのように変容するのかを検討してきたが、準拠集団とは、われわれが意識的に選択して決定することもあれば、そうではない可能性もあるようだ。特に人が移動することによって様々な価値観や文化に触れたとき、われわれは無意識的に準拠集団の別の一面を目の当たりにすることになる。拠り所となる価値観が変化したから準拠集団が代わると言えば済む話だが、そこにはわれわれ自身のものの見方の変容が深く関わっているのかもしれない。その意味で、準拠集団はもっと立体的に考察してみると何か別の発見があるのかもしれない。

準拠集団は、われわれが異文化に接することによって、より変化するものなのではないだろうか。「移動」が準拠集団選択の主要な手段となるのではなかろうか。

 


ルフレッド・シュッツ『アルフレッド・シュッツ著作集(第3巻)社会理論の研究』アーヴィット・ブロダーセン編、渡部光・那須寿・西原和久訳、マルジュ社、1991年

ロバート・マートン『社会理論と社会構造』森東吾・森好夫・金沢実・中島竜太郎訳、みすず書房、1961年