非正規雇用は文化だ

最近気になったニュースがあります。それについて以下で書かせていただきます。

格差社会と言われて久しいですが、数年前からメディアなどで頻繁に取り上げられるのが正規雇用と非正規雇用の格差問題です。女性の労働参加の難しさが特に指摘されてます。その場合たいていは総務省の統計資料によって女性の労働参加を阻むデータが多く示されてます。非正規で働く多くの女性が正規雇用を望み、そして非正規と正規の格差がなくなることで彼女たちの幸福が約束されるというようなメッセージを、多くの読者が受けるのではないでしょうか。でも、非正規雇用の人はみんな正規雇用を求めているのでしょうか。

そこでボクは、同じ総務省の統計資料で示されている別のデータに着目してみました。こんなものがありました。非正規職員および従業員に「非正規の雇用形態についた主な理由」について回答してもらったアンケート結果です。このアンケートによると、「正規の職員・従業員の仕事がないからしかたなく非正規でいるのだ」と回答した人は男女合わせて全体の14.3%。男女別に見ると男性が22.7%で、女性は10.5%でした。

それに対して、「自分の都合のよい時間に働きたいから」と回答した人は男女合わせて全体の28.3%、男女別に見ると男性が26.6%で、女性は29.1%でした。驚いたことに、女性の労働参加に限るってみると、「正規の仕事がないから仕方なく非正規に甘んじている」という女性の3倍近くの人が「自分の都合のよい時間に働きたいから」と回答していることになります。つまり、非正規雇用の悪い側面を強調した視点というのは、非正規雇用のあくまでも1つの側面に過ぎないということなんです。

報道などでは非正規のデメリットばかりが取り上げられますが、実はメリットだと考えている人も多いようです。もちろん、今回ボクが紹介したこのデータが示すものも、非正規雇用の1つの側面に過ぎませんが。どちらが事実であるかということではなく、どちらも事実であるということなんですね。おそらく、そういう事実の積み重ねによって、よりよい労働環境のデザイニングが確立されるのかもしれません。

さてさて、そんななか、ここからが本題ですが、2018年に厚生労働省が「同一労働同一賃金ガイドライン」というものを発行しました。同じ仕事をしている人には平等な賃金を払うということです。厚労省によるとこのガイドラインは2020年から実施されるとのことで、非正規雇用の現状に不満を抱いている人にとっては期待される政策でしょうね。サイトをいろいろ眺めてると「非正規と同じ労働をすればいいのか」という正規社員のコメントがあって、おかしかったです。

ところで、この政策が思うようにいくかに関しては否定的な見方もあります。同一労働同一賃金を早くから取り入れている欧米は「ジョブ型雇用」と言われます。職務を明確にしてから採用するというスタイルです。それに対して日本は「メンバーシップ型雇用」と言われます。企業のメンバーとなって保障される代わりに異動もあれば転勤もあるということです。固い絆で結ばれたメンバーシップ的な職場において「同じ仕事なら同じ給料にしましょう」ということが本当に浸透するのでしょうか。そういった否定的見解もあります。

さらに、この同一労働同一賃金という政策によって改善されるのは非正規雇用のデメリットですが、メリットに関してはどうでしょうか。非正規雇用を肯定的にとらえている人にとっては、同一労働同一賃金によって当然にもたらされるであろう「不自由さ」と「責任」は大きな懸念事項になると思います。つまり同一労働同一賃金という政策は、全ての非正規労働者にとって良いニュースだとは必ずしも言えないのではないかと思うんですよねボクは。

では、同一労働同一賃金という政策を歓迎する人と反対する人、どちらの数がより多いのでしょうか。残念ながら、これを明確にできるだけの資料はいまのところない、というのが実情みたいです。いったい日本の経済学者は何をやってるんでしょうかねえ。このあたりに関しては、今後の調査が待たれるのだと思います。なんなら社会学者がやってしまえば良いとも思いますが。ただ、仮にどちらの意見が多数派であるかが分かったとして、少数派の意見をないがしろにしていいのでしょうか。いいわけないですよ。待遇を平等にするという政策は、そういった課題に対して何の解決策も生み出しません。

そこでボクは解決策として、多様な労働形態の実現が望ましいのではないかと考えています。政府が一律的かつ画一的に賃金形態を決めるのではなく、企業が自律的かつ自発的に決めればいいのではないかと思うのです。政府ではなく市場に任せるということです。企業が雇用実態についてより敏感になるべきなのかなと。企業は商品の市場ばかりに目が行って、労働市場に疎いんだなあ、という印象です。市場に任せるべきか、政府が介入すべきか。果たして政府が介入しなければならないほど市場は努力をしただろうか。みんな政府が何とかしてくれるのを待っているようです。

そも、欧米由来のエコノミーは日本に適用するのは無理があるのではないかという感覚もあります。経済の問題なのではなく、文化の問題に行き着くような気配に最近特に敏感になってます。

 

[メモ]
リンカーンのあの有名なゲティスバーグ演説「人民の、人民による、人民のための政府」というのがありますけど、これ誤訳だって知ってましたか。「人民による政府」というのは分かる。「人民のための政府」というのも分かる。では「人民の政府」とは何ぞや。「人民の政府」と「人民による政府」の区別は何だ。"government of the people, by the people, for the people"が原語ですけど"of the people"の部分は やはり「人民に対する」とすべきだった。

さきほど「多様な労働形態の実現が望ましいのではないか」と書きましたが、言葉足らずだったかもしれない。例えば今みなさんはスポーツジムでダンベルを前にしているとする。種類がいろいろあって、1キロ、5キロ、10キロ、20キロ、30キロとある。軽めのダンベルがいい人と重めのダンベルがいい人、様々です。何キロでトレーニングするかは個人が決めることなのに、いきなり明日から10キロで統一しますと言われたら、そりゃ困る人が続出するでしょう。政府の介入というのはそういうことなんでです。ボクは別に個人主義を主張しているわけではありません。よき共同体を形成するためには、サッカーの本田じゃないけど「個の力」が重要なんですよね。そこを誤解してもらいたくなかったので追記しました。人民の政府ではなく、人民に対する政府。それをきちんと認識できるかどうかがポイントかなと思ったもので。